令和5年度の野球は、本気になって応援した側がことごとく頂点に立ち、まことに爽快な心地のうちに終焉した。

まずはWBCだった。4か月ぶりに退院して自宅へ帰ってきた翌日にメキシコ戦があって、これをサヨナラ勝ち。最後の決勝戦では宿敵アメリカ相手に劇的な幕切れを演じてみせた。

 

夏は甲子園である。神奈川県大会で東海大相模にコールド勝ちしたあたりから夫婦揃って俄然目の色が変わり、決勝戦当日はあの猛暑の中、塾員である女房が矢も楯もたまらず横浜スタジアムへ繰り出すと、最終回の見事な大逆転勝利。慶應義塾が大向こうを唸らせる時が見えて来たのである。

「見据えるは日本一」。彼らの有言実行を信じる女房の思いは、この日を境に甲子園制覇へと突き進んでいった。

そして夢は叶った。結局TVの前で重厚な塾歌を5度に渡って熱唱。何と何と、年が明けてもなお準決勝や決勝戦のVTRを観ている。

三つ目が高校生のU18で、辛勝だったが台湾を下して堂々の優勝。

仕上げはプロ野球の阪神タイガース。セリーグを制し、秋深まった頃、終にはパの王者オリックスを退けて日本一に輝いた。西武と相まみえて頂点を極めて以来の、そう、夫婦が結婚した年から38年後の美酒となったのだ。

 

去年、肝心な試合はすべてプレイボールからゲームセットまで観た。近頃の私には非常に珍しいことだ。既に10年以上前からハイライトでしか野球を見ることがなくなっていたからで、これには明確な理由がある。

実況アナがボールの数をストライクに先んじて表現しはじめたせいだ。これがどうにも耳障りで我慢ならなくなって久しい。

 

「2-1」(ツーワン)、ツーストライクワンボールという聞こえ方は、自分の気持ちが投手側にある場合は「追い込んだ」との高揚感が生じ、逆に打者サイドに肩を入れているときは「追い込まれた」と焦燥する。要するにどちらにしても緊迫の度が強くなるのだ。ところが「ワンボールツーストライク」と言われると、なぜか状況の判断が曖昧になる印象があってやや興ざめしてしまいがちだ。TVでもラジオでもこれは同様である。

 

全ては語呂というやつの仕業ではあるまいか。

例えば、慶應寄りのお方からすれば飽くまでも「慶早戦」であろうし、これは充分理解できることなのだが、日本語的な語呂といったら、やはり「ソーケーセン」のほうだろうと私には思えて仕方ない。