既に述べた【オリジナル】の続きとして。

<ラスト・ワルツ>。この曲はエンゲルベルト・フンパーディンクという男性歌手の歌唱で知ったのだが、あとになってフランスの女性歌手ミレイユ・マチューの歌を聴いて驚いた。マチューを知ってから終に一度もフンパーディンクのほうを聴かなくなってしまったのである。ましてフンパーディンクの歌唱には一部気に食わない息継ぎがあって、元々特筆するほど好きな曲というわけではなかった。

<世界の果てに>はアズナヴールが作った曲。それなりの雄大さも感じられて、好きな楽曲だったが、5年ほどの時間差があったか、女性歌手ピア・コロンボがメランコリックに歌ったものを聴いて、たちまち虜になった。同じ曲でありながら作曲者本人の歌唱は要するに〝回帰・再びの陽光〟といった前向きのものであるのに、コロンボのイメージになると〝凍てつくノスタルジア〟へと変貌してしまうのだ。月で言えば3月と12月。この極端さが〝例外〟の真なるワケだった。

 

ついでにこんな例を挙げてみる。夏のイメージに組み入れた〈ある晴れた朝突然に〉という映画音楽のこと。これはミッシェル・マーニュの作曲で、彼が率いる楽団による演奏が最初に世に出たものに違いないのだが、私がこの曲を知ったのはモーリス・ルクレール・アンサンブルの演奏のほうで、いかにもタイトルに似つかわしい意味ありげな口笛のはじまりが見事だったのでたちまち気に入った。その点あとから聴いたご本家のほうは著しくアピール性に欠けるように思えてならなかったのである。が、はたして本当にそうと断定してしまえるのだろうか。聴いた順番が逆だったら、口笛の評価はもっと軽いものになっていたかも知れないのである。