好きな芸能人は多い。しかし私の場合、当初はさほどでもなかったのが次第に脳裏を支配してきて大いなる好みになってきた、というケースは殆どない。好き嫌いははじめの段階で明確に分かれる傾向だ。

 

どんな女優さんであれタレントさんであれ、初めて見た日というのがあったわけで、それはTV上か雑誌に限定されてきた。

さて、少なくとも何千回になろう「初めて」のうち、大袈裟ではなく私にとって死ぬまで忘れることのない「衝撃的な初めて」というのが一度だけある。

 

1975年の12月だった。「元禄太平記」、広く知られるNHK大河ドラマの流れを汲む一作で、主題は赤穂浪士の仇討ち。

暮れも押し迫っており、当然ながら番組も最終盤、残るは1回か2回だ。

 

江戸を目指して出立するべき、まさに前夜。敵も味方も欺いていわゆる昼行燈を貫き通してきた大石内蔵助は、既に妻を国へ帰す段取りを終えており、息子の主税(ちから)を従えて料亭へ出向いた。

ここの座敷でしとやかに待っていたのが遊女の初音(はつね)である。

いかにも甘い落ち着いた口跡は元より、優しさに満ちた眼差しと滲み出る可憐さ。画面を食い入るように観る私は、とにかくその初々しさの前に完璧に我を失くしていた。「こんな女優がいたとは…」。

 

まず芸名である。後日間違いのないように確かめたわけだが、私の思いは実は早くもとんでもない方向へ飛んでいた。

今後多くのドラマで声もかかり人気も出るだろう。けれどもこの女優の魅力は、おそらくこれがマックスであって、「遊女初音」以上のものは現出しないのではないか。本人の努力とか実績などが介入する余地はないだろうと。

あゝ悔しい。偶像崇拝論者の執心、その行き着く先はここまで貧困なのだ。

 

後に幾多のドラマに出ていたことは判っている。日活ロマンポルノに主演したことももちろん知っている。が、私は一切見ていない。

 

私にとって「三浦リカ」は空前絶後の女優さんなのである。