(五)

このあたりで、【真夏の夜の銀座】に名を連ねる楽曲を並べておく。

<小さな花>(ボブ・クロスビー&ボブ・キャッツ)

<ショーレム>(アーサ・キット)

<君はわが運命>(ポール・アンカ)

<霧のロンドンブリッジ>(ジョー・スタッフォード)

<コーヒー・ルンバ>(ウーゴ・ブランコ)

<情熱の花>(カテリーナ・ヴァレンテ)

<或る恋の物語>(トリオ・ロス・パンチョス)

<キサス・キサス・キサス>(ナット・キング・コール)

<幻のエリザベス>(ミッシェル・デルペッシュ)

<セレソ・ローサ>(ペレス・プラード楽団)※「チェリー・ピンク・マンボ」

<クレイジー・ラヴ>(ポール・アンカ)

<ソラメンテ・ウナ・ヴェス>(トリオ・ロス・パンチョス)

<たそがれの銀座>(黒沢明とロス・プリモス)

<恋のダウンタウン>(平山三紀)

<恋のバカンス>(ザ・ピーナッツ)

<トゥモロウ>(岡本真夜)

 

 双子のザ・ピーナッツが大活躍していた60年代初期の頃から、日本でかなり人気の高かったカテリーナ・ヴァレンテが歌った<情熱の花>は、中間に入るクラリネット?が魅力で、7月ではまだ早く、といって8月に入ってしまうと遅いという、私の中ではまことにデリケートな短期タイプの曲。元の曲は<エリーゼのために>。

 平山三紀というと<真夏の出来事>しか知らないという御仁が少なくない。しかしヒットしすぎてしまって飽きたというか、他の楽曲に傾く私だ。<恋のダウンタウン>は平山三紀にしか歌えない個性的な曲だと思っている。♪甘えたつもりでハハンハン、私は彼に、別れましょうとハハンハン、背中を向けた、ダウンタウン六本木サタデイナイト、ダウンタウン六本木、いろんなオトコの目の前で、抱かれたかったのに、愛なんて愛なんて、オンナの部屋のハハンハン、まぼろしね♪

 

 似た声質の歌手がいないジョー・スタッフォードは昭和初期ごろの世の中を想像させる女性歌手で、聴く人によっては<霧のロンドンブリッジ>を私とは真逆の冬の印象と捉えるかも知れない。けれども私にとっては〝真夏の夜の銀座〟には不可欠なのだ。

 

 「キミはボクより年上と周りの人は言うけれど…」と歌って日本中を席巻した山下敬二郎の「ダイアナ」は、カナダ生まれのポール・アンカが弱冠15歳そこそこで世に出した曲である。次なる「君はわが運命」にしてもポール自身ハタチに達する以前のビッグヒット曲だった。7つほど年下の私がようやく中学生になった頃だ。

しかし何といってもポールで驚かされたのは私が中学3年のときである。第二次世界大戦を題材にした戦争映画「「史上最大の作戦」、当時知らぬ者のいないジョン・ウェインやヘンリー・フォンダが出た大ヒット映画だった。クラスの男子連中がこれの主題曲を教室内で大声張り上げて歌った。♪いつも戦いは辛いものだぜ、生きて帰るのは誰か、ザ・ロンゲストデイ♪ 正直、私は大して好きではなかった。が、これがポール・アンカの作曲と知って心底たまげたことが鮮明に思い出されるのだ。何しろハタチを過ぎて日も浅い青年が書き上げた曲で、しかもマーチ仕上げだった点に特に驚嘆した。因みにこの直後、古関裕而の「東京オリンピックマーチ」にも大いに感銘したものだが、とにかく無類の才能としか言いようがないポール・アンカなのであった。<君はわが運命>や<マイ・ホーム・タウン>を聴くたび必ず思うのは、未だにポールに憧れ続けている私がいることである。