【まぼろしの渡り鳥】
※渡り鳥という言葉の響きに哀しみを連想するのは私だけではなかろう。そして渡り鳥は概して春の幕開きに飛来するか、若しくは飛び立ってしまうのである。
<花咲く丘に涙して>(ウィルマ・ゴイク)
<愛の賛歌>(ブレンダ・リー)
<この世の果てまで>(スキーター・デイヴィス)
<春なのに>(柏原芳恵)
<春よ、来い>(ユーミン)
<自由の大地>(服部克久楽団)
<白い色は恋人の色>(ベッツィー&クリス)
<飛びます>(山崎ハコ)
<すみれ色の涙>(ジャッキー吉川とブルーコメッツ)
<ウーマン・ウーマン>(ゲイリー・パケットとユニオン・ギャップ)
<悲恋>(ミルヴァ)
<バラの乙女>(フォーチュン・テラーズ)
<襟裳岬>(高橋真梨子)
<悲しい渡り鳥>(ジーン・フォーレル楽団)
<シーズン>(アース&ファイアー)
<季節の中で>(松山千春)
<ある日どこかで>(演奏者不詳)
<日陰の二人>(エクストラ・ストリングス)
アレンジに魅了されたのが<春なのに>。この曲を聴くとき、柏原芳恵の声ではなくて服部克久が作曲したバックのほうを追いかけるのが私のクセだ。だが、恋の終わりに最も似つかわしい舞台は春だと決めつけている私であればこそ、中島みゆきのこの曲のタイトルは<春だから>でなければならない。「春なのにお別れですか?」ではなく、「春だからお別れなのです」。
膝突き合わせて喋りたい著名人として以前より思い描いていたのは、江川卓、阿久悠、中島みゆきの三人だった。中島みゆきと話してみたいポイントのひとつが、このことなのである。そこには本当の春、或いは麗らかさの意味を知り過ぎているに違いない中島みゆきならば、春をどうしても哀しみの季節にしたい私の感性を理解してもらえるのではないか、といった破壊的なまでの独断が蠢いている。私のとりとめのない感性とは、こうしたことを言うのではないだろうか。