しかし、あろうことか、くろぽんは新品のガスストーブにも反応して痙攣を起こしてしまう。臭気ではなく、点火時に鳴る「チチチチチチ」という音に反応してしまうのだと私たちは気づくのだ。そういえば灯油ストーブの点火時にも似たような音は出ており、真相を突き止めたような心地になった。が、不安が払拭されたわけではなかった。思えば長年使ってきた灯油ストーブだ。今頃になって音で反応しはじめたのも奇妙であり、やはり合点がいかなかった。

掛かりつけの獣医に相談してみると、先天的、又は後天的な「てんかん」かも知れないと言われた。猫のてんかんは珍しくないそうで、10歳を過ぎてから発症する例もあり、先生の管理範囲でも4匹ほどそんな猫を診ているという。

 

一方、落選仲間が紹介してくれた先生はひと味違ったタイプの人だった。先ずこれまでの経緯を説明し、素人の私たちが臭気や電子音に痙攣の原因を求めたことも話した。ところが近頃では唐突に痙攣を起こすようになってきており、「もしやてんかんではないでしょうか」、と先の獣医さんの言葉を借りながら顔を覗き込んでみた。

「糖尿病の可能性が高いなぁ、高血糖痙攣の疑いがあるね」。これが今度の先生の見立てで、そのあと早速血糖値を測ってみると、案の定異常な数値が出てしまった。ついにこの日、私たちのくろぽんに「糖尿病」の診断が下る。ただ、痙攣の直接原因が必ずしも高血糖とは断定できないとし、てんかんの可能性をこの先生も否定しなかった。いずれにせよ楽観できない雲行きとなり、取りあえず2日ほど入院させて、インスリン投与の分量などを決定するためのデータを取らなければならなくなった。

 

こうしてインスリン注射の生活が退院後からはじまった。毎日午前9時ごろと定め、注射針も1度に大量に買い置くことはせずに、7日から10日置きに血糖値を測りに連れてゆくという形を取った。診察台へ載せると往時のくろぽんが蘇った。先生を威嚇し、幾度対面しても決して慣れない頑なさを守り通した。

このあたりから真夜中に異常な鳴き方をするようになり、食欲は普段の3倍ほどにも達して、水分の要求も尋常ではなくなった。排尿量はいよいよ程度を大きく超え、猫砂の始末が悲鳴を上げたくなるほど忙しくなってきた。痙攣もひと月に2度ほど発症した。しかし何と言っても夫婦を憂鬱にさせたのは、今まで受け付けなかった物まで食い漁る食欲にもかかわらず、体重が少しずつ減りはじめていったことだった。

全盛時6キロ半ほどだったことは先に触れたが、やがてベスト体重というべきか、長いこと5キロ半で安定していた。「最近少し軽くなったような気がする」、と私が言い出したのが年明けごろのこと。壊れたまま体重計を放置していたため、丸2年ほど計っていなかった。たまたま私自身の体重測定も必要に迫られており、2月の半ばに購入、早速くろぽんを載せてみると4800グラムと出た。やはり5キロを割っていたのだ。

これが次第に4600、4500と減ってゆき、異常な食欲が続く過程で4300の数値を見たとき、内心くろぽんの回復はないと腹を括った。そしてとうとう4キロを切る日がやってきて、妻に言った。「2キロ台まで落ちたらおしまいだ」と。

 

食べ続けているうちは大丈夫だと先生に励まされたのは、くろぽんが3400グラムあたりで留まっていた頃だ。長毛のせいで外見はさほど目立たなかったが、抱いてみると殆ど筋肉が失われている。気味が悪いほど背骨をつまむことができてしまい、大腿部も絶望的なまでに骨だけになった。注射針も思うように刺さらなくなるなど、くろぽんは文字通り「激ヤセ状態」に陥っていった。

夏のある晩、2階の寝室で妻も寝てしまって、静まり返った一階のリビングで、いつものようにくろぽんを抱いていた。私を認識できているとは言い難い虚ろな目。

「残念だなぁくろぽん、近いなぁ、アリガトなぁ、お父さんもお母さんも本当に楽しかったよ、幸せだったよ、よく家へ来たなぁ、くろぽんは最高の息子だった、どうやら永久のお別れだなぁ、もう無理だなぁ、くろぽんよぉ」。万感の思いで囁いた。