話が逸れた。アザを特別なメイクで隠すようになったからといっても、何ひとつ私の身辺に変化は起こらなかった。好きな異性を目指すエネルギーが増大したわけでもなし、人前に出てゆく回数が増えたということもなかった。むしろメイクを悟られまいとして、自分の右側に人を置かないように注意を払ったりする行為が日常的になり、異常なほどそこに神経がゆく生活がはじまってしまった。私にしてみれば思いも寄らぬ展開であった。

メイクは水には強かった。海水浴や風呂で困ったことはなく、また汗にも弱くなかった。どれほど大汗をかいても流れ落ちたりする心配は無用であった。若い頃の私は人一倍汗かきであったが、汗がメイクの色になって落ちてくることは決してなかった。ところがこのメイク法には大きな難問が、実は二つあったのである。

 

ひとつは摩擦に弱いことである。タートルネックふうの服は諦めるより仕方なく、ワイシャツにもかなり気を遣った。よほどの場合でなければネクタイも紳士然と締めたりはできなかった。しかもメイクが襟に付着するのを極端に恐れるあまり、どうしても左肩を上げ気味にして首の右側と襟のあいだを保たせる意識が過剰になり、肩凝りが生活習慣病のようになってしまった。「左肩が極端に上がっているぞ」、との指摘を多くの友人知人から受けたが、無論充分承知していた。自然の癖だったわけではないだけに、「あえてそうしているんだ」、と応えることのできない苛立ちが長い間続いた。

だが、私の行動範囲や人付き合いを決定的に左右したのは、このメイクの持つもうひとつの欠点が原因であった。平常時の顔色に合わせてメイクの色合いを調合するため、顔の色の変化に対応できないのである。とりわけ酒の席と、ゴルフプレイを恐れた。私の場合、若い時代は少量の酒でも顔が真っ赤になる体質で、メイクの部分がくっきりと浮き出てしまって手の施しようがなかった。そこで人前でのアルコール類は極力控えるようにし、どうしても状況が許さない場合は、努めて右隅の席を狙った。過去にたったひとり、必ず私のために右端を残してくれる男がいた。いつのときも全くさりげない調子で私を右のスミへ誘導してくれるのであった。どうして私が右端を望むのか、彼は微塵も察知しているような顔を見せたことはなかったが、まことに有難い存在であった。