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まさかずのブログ

何を見ても何かを思い出す。
小説・映画・法律・政治。

こんにちは。

今日はあやしいエステ店から
あやしい栄養ドリンクを買い、
あやしい雲行きの空を見上げながら、
1本飲んでみました。

思いのほか効果があって
一時的に元気になりましたが、
効果が切れると急に心身に疲労を感じ、
自分の体や心が変化していくのが面白いなあと思いつつ、
躁うつ病の人は大変だろうなあと
余計な心配をしたりしました。

そういうわけで
睡眠の不規則さも重なって
イライラしている状態のところに、
「LINE」のタイムラインで、ちょっとした知り合いの女性が
神様、わたしに永遠の眠りを与えてくださいとか
書いたものが来ていたので、
もう限界になってブログを書いたわけです。


というわけで、フェイスブックについてなのですが、
僕はずっと以前から、何が楽しいのかよく分からなくて、
今も一応登録しているものの、
まったく使っていない状態です。


知り合いの名前を検索して
ちょっと様子を見たことがあるのですが、
みんなでパーティーをしただとか、
旅行に行って楽しかったとか、
辛いことがあって、でも成長できたとか、
まあ言ってしまえば日常の喜怒哀楽を書いた日記に対して
300人とか400人とかいる”不特定の”友達が
「いいね!」とするわけですが、
僕はこのフェイスブックを見る度に、

キモい!

と思うわけです。



こういう行動様式やイベントがキモイわけではなく、
何で周囲の多数に報告しなきゃならんのだ、と思って

キモい!

と思うわけです。



楽しいことや辛いことがあったのなら、
特定の友人に電話でもメールでも
話してみたらいいのに、
そもそも実際に友人と会っておしゃべりする時に、
話すことがないのではないかと
余計な心配もしてしまいます。


宮台真司によれば、この欲求は
ステイタス・サブスティテューション、
いわゆる地位代替で、周囲から承認されない
「イケてる自分」をアピールする行為だそうです。


まあ、そういう面もあるのでしょうが、
僕はどうにも「不特定の」友人に
報告することで、会話の主導権というか、
発端を相手に委ねる意地汚さが、たまらなく不快なのです。


自分が自慢したり悩みを聞いて欲しいのに、
相手のレスポンスを待って、
相手から「いいね!」とか「どうしたの?」とかの
梅干の種みたいな言葉を引き出させる、
打算的で無責任な人間関係が

キモい!

のです。


さらに言ってしまえば、
こういった関係性は傾向として、
土着的で、思慮も教養もなければ、
成長もなく、断続的で相互監視的な
中身も道徳も真実もない、
前近代的なムラ社会のコミュニティーのありようなのです。


フェイスブックというツール自体
目的を同一にした集団、
サークル活動なんかで有効に使われるべきものだと
個人的には思うのですが、
顔見知りの友達の集まりのクセに、
不特定で、主体性なく発信した”自分アピール”に、
「いいね!」とかもらって嬉しいというのは、

…それはやはり宮台の”地位代替”なのかもしれません。


あまりに友人関係や自分の発言に対して
無責任な行為だと思うのです。


親密な友人に、お互いの近況や
特別な出来事を話すという行為に
たしかに存在する”時間”は失われ、
そこには「自分」しかいません。


”ここではないどこか”ではなく、
”ここにある自分”を承認してもらいたいというのは、
いかがなものかと思うわけです。

宮台の言葉をさらに引用すると、
それって「自分のことだけしか考えていない」
浅ましい人間です。



というわけで、落ち着かない感情にまかせて
ブログを書いている、友人の少ない僕のこの行為も、
自分アピールではないかという指摘には、
返す言葉もございません。


ただ、蛇足的に申し上げますと、
僕は結婚式を挙げる人の気持ちも
フェイスブックと似たような
自分アピールだと思って
まったく理解できませんが、
まあ普段できない種類のおしゃれができるので、
存在してもいいか、くらいの気持ちです。



後ほど、2本目のドリンクを飲んでみます。