まさかずのブログ -20ページ目

まさかずのブログ

何を見ても何かを思い出す。
小説・映画・法律・政治。

はじめまして。

文学・法律・映画・政治以外に書くことがちょっと思いつきませんので
堅苦しいことばかり書くことになると思いますが...

というわけで、『星の王子さま』。

僕はたぶん3歳くらいから
この物語を知っています。

アニメのビデオを祖父が買ってくれて、
僕はそれを大人になるまで(これは作者は承知しないかもしれない)
繰り返し繰り返し見ました。

原作の本も、度々読んではきましたが、
その度に内容のほとんどを忘れてしまって、
毎回同じ話にびっくりしたり
ふんふんと感心したりしています。

そういうわけで、最近ひどく時間をもてあましているからか、
アマゾンで池澤夏樹訳を見つけて、
購入し、マツダでの車の点検の待ち時間に読みました。


『星の王子さま』の中で、
僕がけっして忘れずに、ずっと好きでい続ける話があって、
それはキツネの話です。

手元に本がないのでうろ覚えですが(大きく違う形で引用しますが)、
キツネは友達を探している王子様に、こう言います。


「オレは小麦を食べないから、小麦畑を見ても何も思わない。
それはとても悲しいことだ」

「だが、君がオレを”飼いならす”ことになれば、
オレは君の事を思い出すようになる」

「ほら、小麦畑は金色だろう、
君の髪の色も金色だ」

「だから、オレは小麦畑を見るだびに
君を思い出して、
小麦畑を吹き渡る風も、今までと違って好きになる」

そして、”飼いならす”ってどういうこと?
とたずねる王子様に、

「絆をつくる…てことさ」
と答えるのです。

キツネは、あまりに有名な
「肝心なことは目に見えない」というのですが、
その実、僕は人口に膾炙したこの言葉の解釈を、
違った風に考えるようになりました。

僕は、『星の王子さま』を読み終えたとき、
一人の女性のことを想像したのです。


彼女は、辛いことがあったとき、
「忘れないことには次に進めない」と僕に言いました。
また、「気持ちを切り替える」とも。

この言葉は僕に取り、
「肝心なことは目に見えない」
「こころの目で見るんだ」という考えに
まったくそぐわないものだと考えます。


誰かが、好意を持った人にプレゼントを贈るとする。
それを受け取った人は、
それを受け止めるかどうかにかかわらず、
その好意を「気持ち」として解釈するでしょう。


『星の王子さま』を解説する本や
色々なサイトに掲載されている解釈の中には、
「こころで見る」と言う言葉を
上記のように受け入れる方が一部にいます。

だが、これはまったく的外れで、
卑しい世俗的な「大人の考え」なのです。

だって、その「好意」は、
プレゼントという「目に見える」形で
表現されたものだからです。

それがどんなに高価な品物であっても
贈った人のなけなしのお金で購入したものであっても、
それは目に見える物質でしかないのです。


「目に見えない肝心なもの」は、
現実的な解釈として、
”時間”的なものなのです。

ある人が、好意を持つ方を想い、
長い時間をかけてその気持ちを持続させることだとか、
二人以上の人間が、
長い時間ともに人生を歩むとか、
その常に失われていく時間の中に、
目に見えない「絆」が確かに存在するのです。


辛いことがあったとき、
忘れようと努めることで、
悲しみは少し癒されるかもしれませんが、
完全に忘れてしまったとき、
その人の人生は、まったく失われたものになるのです。

『星の王子さま』の言葉を借りれば、
「世界中の花がなくなったことに」なり、
「空からすべての星が消えてしまう」ことになるのです。


「忘れないことには次に進めない」


人間の人生は、紛れもない「時間」そのもので、
先のことばかり考えると、
「お金」だとか、「生活」だとかそういった目に見えることしか
目に入らなくなります。

だが、そういって生きた人生を
振り返ったとき、その人生で失った「時間」は
あまりに実りが多いものなのです。

人間の人生は、過去の時間にあるのです。
確かに存在した、豊穣な時間を、決して忘れないことは、
僕にとって、もっとも「肝心なこと」なのです。


僕は「ほぼ日」手帳を使っているのですが、
その中に、胸が痛むくらいに感銘を受けた言葉がありました。

「手帳を読み返すとおもしろいでしょう
幸福というのは、過去にしかないんですよ」


先を見据えて、生きて来た時間をないがしろにする人にとっては、
きっと人生はあまりに長く感じるものだと思いますよ。

またいつか『星の王子さま』を読み返すとき、
もっと実りのある読後感を
味わうことができたらいいな、と思っています。



星の王子さま/集英社

¥1,260
Amazon.co.jp