南辺は会計担当理事としての役割を真摯にこなしてきた。財務に明るく、慎重な性格が評価され、理事会においても彼の信頼は揺るぎないものだった。しかし、その信頼の重みが、今の彼には圧迫感となってのしかかってきていた。

「少しぐらい問題ないはずだ」

南辺は、共益費や修繕積立金の資金に手を付けるという禁断の考えが頭に浮かんでから、毎晩その誘惑と戦い続けていた。自分が築き上げてきた信頼を裏切る行為であることはわかっている。しかし、その固い信頼があるからこそ、少しぐらい資金を拝借しても、誰にも気づかれることはないのではないかという思いが日に日に膨らんでいく。

何年も住民たちのために尽力してきた。この状況では仕方がない。少額なら問題ない。南辺は自分の責任感と勤勉さを逆手に取り、自己正当化の思考を繰り返すようになっていた。長年の功績がある自分に対して、住民たちは疑念を抱くことはないはずだ。数十万円だけ借りて、すぐに投資で取り戻せば、誰にも迷惑をかけることはない。南辺はその考えにどんどん取り込まれていった。

少額、短期間、借用、こうした言葉が、南辺の中で何度も反芻された。マンションの会計を管理する責任ある立場にいることで、逆にその資金の流れを最もよく理解しているのは自分だという自負が彼を支えていた。

誰にも迷惑をかけない。ほんの少しだ。南辺は再びそう自分に言い聞かせた。しかし、内心ではその「少し」という言葉に不安が募っていた。最初は少額で始めるつもりだったが、次第にその額が増えていくことへの恐怖が頭をよぎった。株式市場の変動が思わぬ方向に動けば、すぐに返済できるという計画が破綻する可能性がある。

それでも、今はこの手段しかないんだと自分に言い訳をするように考え続けた。投資の損失がここまで大きくなってしまった以上、後戻りはできない。何かしらの資金を調達しない限り、このままでは破滅だ。家族も、住民たちの信頼もすべてを失うことになる。それを避けるためには、今すぐに何か行動を起こさなければならない。

彼は、さらに他の選択肢を探そうとしたが、もはや資金調達の手段は見つからなかった。銀行も、投資信託も、個人向け国債も、彼の状況では役に立たない。それに加え、他の投資手段を試みたとしても、時間がかかりすぎる。南辺にとって、時間は最も貴重で、最も不足している資源だった。

彼は、パソコンの前で再び会計システムの画面を開いた。共益費と修繕積立金の残高を確認しながら、その中から数十万円だけ引き出す方法を考えていた。住民たちが毎月支払うその資金は、彼にとって今や唯一の救いのように見えていた。今まで築き上げてきた信頼を裏切ることにはなるが、それがなければ彼自身が崩壊してしまう。