入社したての頃はそれまでと比べて社会人としてのルールやスタイルなどの違いや、仕事のやり方などに様々な疑問や不明点というものが出てきます。
ただ、そういったことは社会人の経験を重ねるとともに忘れていったり、そもそも疑問にすら感じなくなってきます。
理由は、要領を掴むことで応用が利くようになったり、慣れによって感覚が麻痺してしまうからでしょう。
それはある意味成長なのかもしれませんが、同時に視野が固まったり考え方が偏っていることでもあります。
要は一般的な社会の一員に染まってしまうということです。
疑問を残す
自分の部署では新入社員が入ると、仕事において疑問に感じたことをメモしてもらうことをしています。
まぁ、一般的なことではあるんですけど自分のノートにまとめるんじゃなくてデータで残すというようなことをしてます。
それは、例えばわからない技術的な専門用語であったり、仕事でよく使うような略語であったり、仕事のルールであったりと様々なのですが、そうしている理由は入社したての右も左もわからない状態からあとで見直してみるとそんなこともわからなかったのかという成長の軌跡を実感してもらうためであったりするのですが、それは表向きのものであって実際の効果というのはそんなに高いようには感じていません。
何故なら途中で実務が多くなるにつれてメモをする余裕がなくなってきたり、詰め込みの教育の現場からすぐに答えが出されて自分で調べるという時間が与えられなかったり、過去の記録を見返すという行為自体をしなかったりするからです。
本当の狙いとしては、わからない人の視点というのはどういったものかを実感して欲しかったり、過去の自分も含めて視野レベルが違う人がいるという認識を持ってもらうことにあったりします。
それは、仕事において人と話すときに相手の知りたいポイントを探ったり相手のその分野においてのレベル感を量るときに役立ったりします。
また、実際にわからない人の視点というのは結構貴重だったりもするわけです。
わかる人になってしまったときに、わからない人の何が困っているのかがわからなくなります。
そして、多くの製品やサービスというものは困っている人やわからない人に届ける物が多かったり、最初に触れるものへの抵抗感を限りなく低くすることというのは重要だったりもするのですが、過去のわからない頃の自分の中にそのヒントが埋もれているかもしれません。
だからこそ、わかる人になってしまう前にわからない頃の自分の考えや思いの断片を残しておくというのは大切なんじゃないかと思うわけです(まぁ、あとから見直したら結構恥ずかしかったりもするんですが)。
ギャップを知る
過去の自分を見つめなおす機会は今の自分とのギャップの確認でもあります。
それは、過去の時点で想像していた未来の自分と現時点の自分とのギャップでもあります。
こういったギャップを確認するというのは仕事においてもよくあることで、特に失敗しそうな(した)時にAsIsとToBeとのギャップを分析することは大事だったりもします。
ギャップを知るにははっきりとした基準が必要で、今の自分というのはいつでもはっきりしていますが、過去の自分というのは記憶から薄れていくとどんどんとぼんやりしていったりします。
特に社会に出てしまうと、次々に頭に詰め込まれたり、タスクを割り振られたりで過去の自分がどんどん流されてしまったりして、夢ややりたい事というのも薄れていったりします。
ですから、過去の自分とのギャップを知りたくてもぼんやりとした記録の中で確認していかなくてはなりませんから何らかの記録の断片があったほうが分析しやすくなるわけです。
頭の記録に頼ると「あー俺、この時はこんなこと考えてたっけ」ぐらいな記憶しかなかったりもするのですが、それがあるだけましという場合もあって、実際のところ考えが大きく変わっていることにさえ気が付かないことはよくあったりします。
TwitterやFacebookなどへの投稿でさえ日々の自分の新しい発言に過去の自分の発言は流され薄められていきます。
こんなにデジタル化が進みなんでもかんでも記録し記録される時代であっても過去の自分というものを見直したり発見するのはとても難しいことです。
皮肉にもビッグデータとか言う自動的に記録されていく動向分析の中の自分(のデータ)のほうが、自分自身よりはっきりとした情報を持っているかもしれません。
まぁ、過去の自分とかそんなことを気にせずに前に進めということかもしれませんけど、闇雲に進めばいいというものでもないでしょう。
きちんと何処にいて何処に進めばいいのかというものさしが必要です。
なので、何かにその時の自分をメモしておくというのは大事だって思ったりするわけです。
メモする方法は色々あるわけですが、個人的にはみんなブログ書こうぜとか思いつつ、このエントリをまとめたいと思います。