重鎮たちには「体験」を | A Day In The Boy's Life

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とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

SI業界の老害が若手と下請けを蝕む理由 @ ひがやすをblog


この老害がプログラミングを分かってくれない理由は、「あの時」で頭の中の時間が止まってしまっているためかと。

「あの時」というのは、その人がプログラミングを「わかった」(少なくともその人にはそう感じられた)そのときからで、そこからの思考が止まっており、それ以降の情報を受け入れていていません。


プログラミングの世界に関わらず、ネットの凄いとこを語ってもまるで相手にしてくれません。

少なくともネットの凄さというのは分かっています。

分かるといっても、周りで「ネットは凄いよ」と騒いでいる噂を聞きつけて知っている程度で、本質的に何が凄いのかという点は理解していない事は言うまでもありませんが。


このネットが凄いというのは、インターネット黎明期に見られた技術的な点での凄さ(世界中のコンピュータがネットワークを解してつながり、もう一つの仮想空間を作った)に対してだけ感心しているだけで、その中でどのような事が起きているのか、それが何故凄いのかという点は理解しようともしていません。

今までに無い技術だから凄いというだけで、インターネットが生み出した物理的な制約を飛び越えたコミュニケーションや人知の集合、そしてそこから生み出された人類の新たな進化など、技術の枠を超えた凄さというものには気づいていもいません。

技術的な凄さ以外に感じていることは、情報を即時に交換・発信できるマーケティングツールという捉え方ぐらいでしょうか。

ここでも、ネットの凄さを理解した(ように見えた)「あの時」からその人の脳の中では時間が止まっています。


梅田望夫氏と茂木健一郎氏の共著である「フューチャリスト宣言 (ちくま新書 656) 」の中で、梅田さんが「リアルな世界で満足している人ほどネットに関心を持たない」と言っていたのはよくわかります。

「あの時」から思考が止まるのは、リアルな時間を無駄にしたくないためかと。


話を戻してプログラミング界での老害についてですが、こういう人たちと話すと必ず出てくるのが、まさに「あの時」の話題です。

若い頃を回顧して、あの時はこんな事件がおきてそこから毎日徹夜して・・・、そして最後に続くのが、「今の君たちじゃなかなかできない事だよ」と。

まず、時代の軸が大きく違っているので簡単に比べる事などでき無いことに、その人たちは気づいていません。

苦労話なんてしだすと、その時代や状況から着地点など見出す事はできません。


大事なのは「あの時」ではなく、今どうなのかという点。

そういう意味で、重鎮にとって必要なのは経験のある・なしではなく、今をまさに体験しようとする感性ではないでしょうかね。

ただ、これは誰にでも同じこと。体験しようとする向上心を忘れるとそこからの進化が止まる事になるのだと思います。