文字 | A Day In The Boy's Life

A Day In The Boy's Life

とあるエンジニアのとある1日のつぶやき。

昨夜にTVでBlogの炎上について議論していた番組を見たのですが、最近この手の話題と言うのは、結構色々なところで目にしたりします。


ネットの世界では、現実とは違うもう一人の自分というのを簡単に作り出す事ができますが、現実世界でははっきりと分かるその人の存在自体が、ネットの中ではかなりグレーな存在となってしまいます。

年齢や性別、どこの地域に住んでいる人なのかも分からない存在になるわけです。

そのような状態で、物事を言うというのは確かに不公平だとは思います。


ただ、一方で事の発端になる側にも問題が無いかといえば、そうではないケースが見受けられるように思えます。

文字というのは、非常にそのニュアンスが伝わりにくいものです。

「別にいいよ。」と何かに対して了解するこの言葉も、これだけを見てるとなんか怒っているようにも見えてきます。

面と向かって言葉で聞くと、声のトーンやその人の表情から快くOKしてくれてるのか、少し嫌々なのかが分かりやすいです。

会って話すと、その言葉以外の要素がその言葉をカバーしてくれるわけです。

ですが、文字は文字だけです。

それ以外にその文字を補ってくれる要素がありません。

文字を補うのは、文字だけになってしまいます。

「別にいいよ~。」これだけで少しはやわらかく見えます。

つまり書く側が自分の感情や前後関係を上手に説明するために、さらなる文字を追加しなければなりません。


また、文字というのはネットの世界でなくてもそうですが、記録されるわけです。

記録されるという事は、読む相手に深い関心を持たせるに十分な時間を与える事になります。(全ての文章がそうとはいえませんが・・・)

話していると次々と話題を展開させ、相手に記憶が残らない事もありますが文字は記録されており、相手が十分にその内容を読み解く事ができます。

もちろん、読み解く事に関して書く側と読む側で相違があるから色々問題があるわけですが、先ほども述べたように文字というのはニュアンスが伝わりにくいので

話すより、より詳しい状況を説明しなければなりません。

じっくり読み解かれるので、その誤解が生じないように言葉を選んでいき、自分が感じている思いを文字にしなければならないわけです。

これは、喋る事よりずっと面倒な事だと感じます。


人というのは、当然ひとりひとり異なる意見を持っています。

ですから自分の意見が、他人にとって偏った意見に見えることは当然あるわけです。

好きなスポーツについて語るとき、基本的に自分の好きな選手やチームを中心に話したりします。

これが面と向かって会話する時、全員が自分に同意する事を前提に話す事は少ないでしょう。それは話す対象の人を話す側は、ある程度知っていて(目に見えて)、好きなチームや選手が違う事を認識してますので。

ただ、ネット上で発言する場合、その意識が薄いように思われます。

インターネットは、基本的に全世界の人が見ることが可能になっている代物です。

小さな発言の場で、「○○だぁ~」と発言する事でも、インターネットにつながっている何千万の人の前で「自分の意見は○○だぁ~」と言っていることになるわけです。

もちろん、いきなりそんな大舞台で発言できるのはかなり著名な人でしかないかもしれません。

ですがつながっている以上、それを見た誰かが「おい。あそこで面白い事言ってる人がいるぞ」という事になれば、たちまち小さなステージから大舞台へその場が昇格されるわけです。

こうなってくると、自分と意見が異なる人というのが現れ、その人に対して異なる意見を物申す人も当然出てきます。

面と向かって人と話す時は、相手との意識の違いを気にして話すのに、ネット上になるとそんな意識が薄れ、自分の意見は十人十色ある人の中の一つにもかかわらず、さも当然のように言ってしまいがちです。


こう言った事を考える時、TVで発言している政治家を思い出すのですが、何かに対して意見を求められると「私個人の意見ですが・・・」と前置きして話す人をよく見ます。

政治家Aの意見というよりは、当然色々な意見がおありかと思いますが、あくまで一人の人間として発言してみるとと自分を下げ、ある意味逃げ場を作っているわけです。

ああいう方たちというのは、自分の発言が自分を追い込む事をよく解っていてそしてさらに、周りにはいろんな事を言う人がいると言う事を一番意識しているように思えます。(たまにぽろっと余計な事言う人がいますがね)

もちろん政治家としては、そのような逃げ場を作った意見を言う人より、自分の信念を持って発言する人のほうが私としては賛同できるのですが・・・。


ITの進化により、人と人は会わなくてもコミュニケーションをとることができるようになりましたがこの文字によるやり取りというのは、そういった相手の事を気にしながら伝えなければならない点から実際のところ会う事よりずっとずっと面倒な手段になっているというのはなんとも皮肉に見えてしまいます。