むかしは肥やしにするほどの | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 きょうは、まさかの気温30度。いまさらの真夏日に、清澄白河あたりをほっつき歩いてまいりました。


 白河一丁目の通り沿いで、インターナショナルスクールの入り口わきに、この石の標柱が立てられております。でも塀との間がなさすぎて、説明が読めません>< 正面に刻んである題辞は「干鰮場跡」で、(ほしかば)とルビが振ってあります。鰮はイワシのことです。


 ざっくり申しますと戦国乱世のころまで、農家は落ち葉を掃き溜めるなどしてつくった堆肥を使って耕作していました。平和な世の中になると、離れた土地からモノを買うのが容易になります。モノを運ぶのに海賊だの山賊だのといったリスクが激減しましたからね。それで肥料もカネ出して買うようになります。カネで買う肥料を金肥というのですが、人糞肥料ばかりではなくてですね、なかば腐敗したイワシを干したものが肥料として売られたりもしていました。


 通り沿いから裏手に回りますと、児童公園があります。


 気温は高くても秋分の日を過ぎたので太陽の軌道は低いです。影がのびちゃうので、自分の影が写真に入らないよう気をつけなきゃイケマセン。誰だよ、この影は。


 あ、俺か!


 公園のなかに干鰯場をイメージしたイラストが描かれた看板があります。


 銚子方面から利根川を遡航し、関宿で江戸川に入るコースで、大量のイワシが運ばれてきました。ここでは主に銚子産のイワシを干していたので「銚子場」と呼ばれていました。深川近辺には「永代場」「江川場」という干鰯場が複数あったので、さぞや臭ったでしょうねぇ。


 汗だくになりましたが、さほど湿度は感じません。深川は湿気の多い土地柄なんじゃないかという思い込みが払拭されたのは収穫です。これなら天日干しできるわ。


 すぐ近くで、銚子場に沿っていた小名木川の水路が隅田川と接続します。松尾芭蕉が住んでいた芭蕉庵があったのはこの辺です。


 Facebookでおつきあいいただいていた鏡川伊一郎さんが今朝ほどなくなられたことが、TLで流れてきました。お会いする機会はなかったけれど、FB上ではキツイ言葉を用いるほどに歴史を論じ合ったこともありました。西方浄土に旅立たれたわけで、ふと西の空を眺めれば、ビルの向こうに夕焼けが見えました。

 鏡川さん、西沢朱美さんの『赤報隊史料集』を、そんな風に飛ばし読みしてたらダメですよ。あなたが恢復したら、こちらも病身に鞭打って再戦するつもりでした。一方通行になってしまいますが、いずれ私の考えをぶつけます。それが私の手向けです。本気で行きますよ。


大事なおしらせ
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 特定非営利活動法人交通文化連盟



ともあれ、ツタヤ図書館と江戸しぐさは滅ぼすべきです。



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