陰謀論の一例 | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 いまも強く支持される陰謀論として、赤報隊粛清事件がある。戊辰戦争における赤報隊は軍事組織の末端に連なりながら命令を無視し独断専行を繰り返した。召還命令にさえ応じず、あげくには新政府側に恭順を宣言した信濃諸藩を相手に交戦した。

 この無軌道ぶりは充分に死罪に値する行為だ。だが、年貢半減令撤回のため口封じに殺されたという陰謀論は、いまなお根強く支持されている。しかし、新政府が年貢半減令を撤回しようとした事実のみを楯に、陰謀だのなんだのというのは史料的根拠がない妄想だ。

 何度でもいうが、軍隊に属する者が連絡を絶ち、召還命令にも応じないことは逃亡罪に相当する。しかもそれが敵前である場合、死刑となるのは当然だ。あまつさえ味方部隊と交戦したのでは、むしろ死刑を免れる理由を探す方が無理だ。

 おかわいそうな赤報隊が、陰謀に呑み込まれて殺されたというのは物語であって、客観的事実には成り得ない。ただ、彼らが勤王家であったのは事実であり、その方法は誤っていたにせよ、彼らなりに功績をあげたいと思っていた。それに思いを致すのは感情というものであり、けして理性的な是非善悪の判断に加えてはならないものだ。

 最近の出来事から、あえて陰謀論を創作してみよう。

 JR東日本が、東京駅一〇〇周年を記念して特製suicaを販売しようとした。だが数量は限定で、当初は一万五千枚だったと聞く。鉄道ファンは東京駅に殺到した。その数およそ九〇〇〇人。ひとり3枚までの制限をつけたが、単純に計算して二万七〇〇〇枚が用意されていないと足りないわけだ。そして、販売は中止され、JR東は追加販売を約束した。その対応に怒った群衆は、なかば暴徒と化して、駅前は騒然となった。

 ここまでは、各種報道によって知り得た客観的事実だ。ここからは私が敢えてする妄想となる。

 JR東は、東京駅に押し寄せる鉄道ファンの数を、わざと少なく見積もったのではないか。たとえ並んでも買えない状況をつくり、飢餓感を煽れば、長蛇の列に並ぶことを敬遠した、ぬるいファンまで欲しがる。事実、私も欲しくなった。
 それが図に当たりすぎて、暴動寸前の事態にまで至った。販売数の追加を約束せざるを得ないから、はじめに数量限定としてファン心理を煽ったことも帳消しに出来る。このあとの追加分は飛ぶように売れるだろう。ほんの半日ほどの騒動と引き替えなら、安いものだと算盤をはじいてほくそ笑んでいるに違いない。

 これは敢えてした陰謀論だ。真に受けてはいけない。

 妄想の中で悪をつくりだし、それを攻撃するのは、正義の味方になったようでキモチイイ。おそらく陰謀論に深く入り込む人は、そんな具合に単純な精神構造なのだろう。およそ真実探求には向かない人だ。

 陰謀論とは、証拠がないのが証拠。それは実証を要する史学とは、永遠に交わることがない世界だ。歴史上の出来事に陰謀論を唱える人は、要するに実証主義がわかっていない。


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