午前八時頃に至り、朔寧支隊方面に盛んなる銃砲聲が聞える。南方に當つても聞える。南なるは師團本隊が交戰を開始したのである。
混成旅團は、吾全軍の總政擊既に其緖に著き終つたものとし、專ら前面の敵を擊攘せんと勇氣を新にして猛擊を試みた。敵屢潰えんとして、頻りに新銳の援軍を增加して支へる、其兵力は我れに比して餘程優勢である。戰鬪は次第に酣はとなつて來た。
前の成歡の役に、漬走せる敵兵を追擊しなかつたとて、世上の兵機を辨へぬ輩から非難の聲を注がれた經驗のある義昌は、今回の戰鬪には必死の覺悟である。武人已に戰場に起つ、屍を馬革に裹むは寧ろ本懷とする所である。頑强に抵抗を試み、時には逆襲に出でんとする敵襲をば、數次退けて、飽く迄奮戰した。
午前十一時前後は最も激烈なる戰況であつた。其折、敵彈飛來して、義昌の腋下を傷けて、後方に立つ通譯官を斃した。幕僚驚いて義昌を扶く。此戰機全潮の際に臨んで、旅團長の負傷が知れたなら、忽ち流言蜚語の爲に、事實以上の虛報が傳つて、全軍の士氣に影響する處甚大である。義昌卽ち傷を包んで、痛苦を忍び、何事も非らざりし如く粧うて、唯衆を勵まし、叱咤勇奮した。
激戰猶續いた。此方面は敵の全軍が擧つて襲ふ。固より吾混成旅團は其戰鬪を豫期する處であつて、能ふ丈け多くの敵兵を此處に牽制して、吾友軍の勝利を力めて確實ならしむる任務にあるを知る故に、よく挑み、よく鬪うた。爲に將卒の死傷相續いで出で、彈藥も將に盡きるに垂んとした。若し此處に彈藥盡き果てるならば、吾兵如何に勇敢なるとて、遺憾ながら敗衂を免れぬ。倂し敗北の恥辱は決して受くべきものでない、却つて戰死を念として敵陣に突入して其壘に屍を曝さん事こそ望みである。時は正に危機一髮の際に臨んだ。
義昌、自ら進んで幕僚以下の幹部を提げて前進し、步兵第二十一聯隊の軍旗の下に馳せ着き士卒を督勵して突貫せしむる事數十步、敵亦必死の防戰につとめ、亂彈雨飛、硝煙朦々、天日爲に晦らくなつた。常に最後の五分間である。義昌乃ち聲を勵まして、敢て暴進を命ぜんとした。
第二十一聯隊長武田秀山は、敵線を距たる七八十米突の危地に在つたが、義昌の姿を見るより驅けより。其手を握つて。戰ひは今や最も苦境に陷つてゐる、若し吾軍旗を敵に委するが如き事あつては、一大恨事である。閣下、速に後退して、軍旗を其側に置き、徐ろに後圖を爲されよ。不肖秀山、此處に死戰して敵と鬪ふ。と諫め、手を擧げて、義昌を後ろに遣らんとする。義昌、よく秀山の意中を知るも、此危急に臨んでは、一步の後退も屑しとせぬ。則ち大呼して曰く、事茲に到る、唯軍旗と共に斃れて、一死君國に報ずるのみだ。貴官再び後退を語るなと。强ひて聲を張りあげて之を叱した。
義昌の決意は磐石の如く堅い、決死の覺悟は眉宇に溢れてゐる。其凛乎たる風姿を仰いで、秀山は再び言はず、直に戰線に馳せて兵を督して鬪うた。戰ひは午後に至るも依然として激しく續けられ、敵兵は絕えず增援されてゐる。のみならず、師團本隊、朔寧支隊方面の戰聲が頓に熄へて了うた。吾前面の敵は少しも動搖の色なく、吾友軍の戰ひが歇んだとなると、大に考へる處があらねばならぬ。無謀に猪突して若し蹉跌を來たさんか、再び起つ能はざるの難境に陷る。如かず戰鬪を持久して、吾兩隊の狀況を詳知するの方法に出でんとて、一先づ其攻擊を中止して、舊陣地に後退する事にし、午後二時三十分頃より其運動を始めた。
旅團は右翼隊の所在地に復歸し、左翼隊亦舊陣地に退いた。然るに敵の追擊し來る者がなかつたために、幸ひ全軍は何等の損傷をも蒙むるに至らなかつた。若し吾後退に追尾して劇しく敵の攻擊があつたならば、蓋し吾損害は夥しきものであると豫測して、義昌は此事を最も痛心してゐたのであるが、斯事に出でなかつたは實に僥倖といふべしである。

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