坂本龍馬、皇后の夢枕に立つ 01 | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 日露戦争の開戦時、葉山で静養中だった皇后は、坂本龍馬を夢に見たといわれる。私はこれを「皇后瑞夢事件」と称しているが、奇夢事件と呼ぶ人もいる。

 これを超常現象として喧伝したのが、皇后に仕えていた香川敬三であった。この事件によって坂本龍馬は一躍歴史上の著名人になったと主張する人も少なくないが、私の見解は異なる。

 まずは基礎文献である『明治天皇紀』から見ていくとしよう。

『明治天皇紀』明治三七年八月二五日条(一部抜粋)

皇后、金百圓を遞信大臣大浦兼武に賜ひて、贈正四位坂本龍馬を弔祭せしめたまふ、是れより先、今年冱寒の間、皇后葉山に御し、二月六日夜奇夢を見たまふ、即ち一壮士あり、彷彿として皇后の夢に入り、祗みて告げて曰く、臣は坂本龍馬なり、我が海軍を守護せん、冀はくは御心を安んじたまへと、皇后、龍馬の事績は曾て之れを聞きたまへりと雖も、其の風貌は固より之れを知りたまはず、乃ち御使を差はし、其の見る所を以て天皇に奏したまふ、左右傳へ聞きて奇と為す、兼武亦之れを傳聞す、後、兼武、公事を以て關西地方に往き、適〃京都より奈良に赴くの途次、伏見大黒寺に過りて、文久中寺田屋に死せし薩摩士有馬新七等九人の墓を展し、更に寺田屋の遺址を訪ふ、寺田屋は世々旅宿を業とし、旅客の舟を僦りて淀川を上下するもの多く此に休舎す、今の家主を寺田伊助と曰ふ、業を廢し、大阪に移住す、伊助の妣とせは、元治中夫を喪ひ、爾来孀婦にして家業を營む、性頗る任侠に富めるを以て、諸藩勤王の士の來りて扶助を受くるもの尠からず、龍馬亦常に此の家に潜居して大事を計る、とせ殊に厚く之れを庇護すと云ふ、伊助、兼武の伏見の舊宅を憑弔せしを聞き、人に託して、家に蔵する所龍馬のとせに贈れる書牘數通を東京の兼武の邸に齎す、兼武乃ち皇后に謁するの次を以て此の事を白し、且伊助齎す所の書牘を御覽に供す、實に七月の事なり、皇后、曾て御夢の事あり、今此の遺墨を覽たまふ、往年龍馬の國事に周旋し、事中道にして兇刃に斃れたるを憫み、其の書牘を返したまふに付して、是の日特に此の賜あり、兼武乃ち其の賜はる所を伊助に授け、以て龍馬を弔せしむ、伊助感激禁へず、伏見舊宅内在る所新七等九烈士の碑側、別に一碑を樹て、事由を勒して以て恩榮を後世に傳ふ、○皇后宮職贈賜録、皇后宮職日記、伏見寺田屋址恩賜紀念碑碑文、佐佐木高行日記
 『明治天皇紀 第十』845~846頁

 明治37年2月6日といえば、日本がロシアとの開戦を決意して聯合艦隊に出撃を命じた翌日であり、当日はロシアに国交断絶を通告した日である。まさに矢が放たれた、そのときのことである。

――強大なロシアに勝てるだろうか?

 という危機感から、皇后が神にすがりたい気分であったことは想像に難くない。
  ・白衣の壮士の姿を夢に見た。
  ・その壮士が坂本龍馬と名乗った。
  ・夢のなかの龍馬が日本海軍を守護するといった。
 これらのことは事実であったとしても不思議ではないし、超常現象とはいえない。

 ただし、

――其の風貌は固より之れを知りたまはず

 この一点において納得しがたい。
 夢に現れた見知らぬ壮士の風貌が坂本龍馬の肖像写真のとおりであった、ということで心理学的に説明できることを超常現象のように見せかけようとする意図が感じられる。

 皇后は「龍馬の事績は曾て之れを聞きたまへり」と記されているとおり、すでに龍馬のことは知っていた。よく知られているとおり、龍馬は多くの写真を残した人である。そして生前の龍馬を知る田中光顕が宮中に仕えていたことから考えて、いずれかの機会に皇后は龍馬の写真を見ていたと思われる。なぜなら皇后は平素から海軍に深い関心を寄せていたからだ。

 また、日露戦争当時において、すでに龍馬は無名の人ではなかった。明治16年(1883)には坂崎紫瀾が土陽新聞で龍馬を主人公とする『汗血千里駒』の連載をはじめていたし、明治24年には龍馬ほか勤王家27名に正四位が追贈されている。ついでにいえば明治23年には土佐陸援隊の中島信行が初代衆院議長に就任しており、龍馬や中岡慎太郎の顕彰運動は日露戦争から10年以上前に始まっていたのだ。

 龍馬の顕彰よりも一足先に、文久2年の寺田屋騒動で命を落とした薩藩九烈士の顕彰碑が伏見寺田屋の跡地に建っていた。寺田屋は龍馬の定宿であり、龍馬が命からがらの逃走劇を演じた舞台としても知られている。薩摩出身の遞信大臣であった大浦兼武が、たまたま関西への出張に際して薩藩九烈士顕彰碑が建つ寺田屋跡地へ立ち寄ったことがきっかけで、寺田家が所蔵する龍馬の書状が、大浦を介して皇后に供覧されることになった。そして皇后から金百円が下賜され、寺田屋跡地に龍馬の顕彰碑が建てられることになった。

 大戦争のドサクサのなか、龍馬の顕彰運動が進んでいくのだが……つづく

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