近藤勇を降す 11 | 大山格のブログ

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おもに歴史について綴っていきます。
実証を重んじます。妄想で歴史を論じようとする人はサヨウナラ。

 今回は北島秀朝の伝記から。

O北島秀朝事蹟略ニ云、三月、賊兵總、野二國ノ間ニ起リ、勤王ノ藩々ヲ苦シメ、或ハ民物ヲ掠ム、岩倉具定兵ヲ出シテ之ヲ伐ツ、一方ノ賊魁、幕臣近藤勇ナル者、姓名ヲ變シ大久保大和ト稱シ、下總國葛飾郡ニ起ル、岩倉總督ノ前軍、彥根藩兵之ヲ虜フ、卽チ督府ニ囚ス、四月督府隨兵岡田■之介ノ兵ニ命シテ、近藤勇ヲ板橋驛外ニ斬リ、其首ヲ樽ニ納ム、秀朝ノ上京スルヤ、傍ラ之ヲ護送スヘキノ旨ヲ受ケ、秀朝日夜兼行シテ、二條城大政官代ニ至リ、委サニ東國ノ狀ヲ奏シ、又賊首ヲ刑法官ニ出ス、樽ヲ開ケハ則首猶生ルカ如シ、百官見テ以テ奇トナス、是レ火酒ヲ以テ之ヲ浸セハナリ、五月、秀朝江戶ニ歸ル。
■は叔の下に金。読みはトク

 近藤の身柄確保の経緯は、これまで読んできた史料と大同小異。処刑後、近藤の首を火酒(焼酎)に浸して樽づめにして運んだとの記述が目を引くところである。

 北島は下野国武茂郷(現在の栃木県馬頭町で、当時は水戸藩領)の神職の子。志士としては岩倉具視の系列に連なっていたので、境遇は香川敬三に似ている。維新後、北総地域で大規模な開墾事業を展開、その一部には流山に近い豊四季、十余二といった地域が該当する。

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