
復元されているのは、店舗を含む主屋、台所、文庫蔵の3棟のほか、井戸、屋敷神(小祠)など。惜しくも土蔵や剣道場などの付属施設は失われているが、見応えは充分だ。

江戸時代の上福岡は川越藩領で、現在の行政区分でも川越市に隣接している。荒川に並行する新河岸川が流れており、水運の基地として福岡河岸があった。そこで船荷を扱う三軒の問屋のうちの一軒が、この福田屋である。

↑は土間から帳場を見たところ。いくぶん床が高くなっている。

天井の電気配線も、この地に電気が引かれた大正時代の様子を復元している。かつて電灯線の被覆が布であったため、屋内配線の絶縁処理は不完全だった。碍子を使って電灯線を空中に通しているのは漏電を防ぐための工夫である。

台所は二階建て。一階は土間で、流しと竈が設けられている。

一階の天井から二階の床を見上げたところ。台所の二階は「男部屋」と呼ばれる男性用従業員室で、梯子段で昇降する。主屋の二階の一部が「女部屋」になっている。

離れはゲストハウスとして用いられた模様で、通し柱を六本も使っている。内部の座敷は床の間などに贅を尽くした趣向を見ることが出来る。月曜以外の祝日にかぎって公開される離れの二階、三階にはステンドグラスもあるという。敷地の北側に位置するので、上客を通す建物としては相応しいのかと首をひねったが、二階や三階からの眺望を考えて北側に建てられたとのこと。

文庫蔵の側から中庭を見る。由来不詳の小祠がある。

大正時代から始まった河川改修により新河岸川は水量が激減、それによって舟運も途絶えてしまったのだが、星野家は鉄道事業に参加していたとのことで、形態をかえながらも運送に関わる事業を続けていたらしい。

上福岡は東武東上線で池袋まで30分ほど。特別公開日はコチラで確認されたい。

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