十七条憲法の正確な解釈 | ある女子大講師

十七条憲法の正確な解釈

1.十七条憲法の制定に先駆けて、我が国では「冠位十二階」の制度が始まった。これは、身分の上下を厳格に定めたもので、上の人の前では、下の者は常に顔を伏せていなければならない。「おもてをあげよ」と言われて、はじめて顔をあげて良いわけだ。その場合も、相手(つまり上司)と直接目を合わせることはNGだ。「おもてをあげよ」という言葉は、ただ、顔をあげてよい、というだけのことで、上司の方を向け、と言っているのではない。これだけの厳格な身分制を前提として、次のステップとして十七条憲法が存在する。十七条憲法では「身分制はあるけれど、大事なことは上下の境なく、互いに顔をあげてちゃんと議論しなさい」と述べている。だから「論(あげつら)ふ」なのだ。

2.よく聞く言葉に、「日本人は議論が下手だ」というものがある。実はとんでもない話で、幕末の志士たちも、明治の人たちも、軍人さんであっても、必要なときには必要なだけ、ときに激しく議論する、ということが普通に行われていた。だからこそ日本人は、鎖国以前の時代にも欧米列強に対して「タフ・ネゴシエーター」であったし、だからこそ日本は植民地支配を受けることなく鎖国することもできた。それを聖徳太子の十七条憲法の、第一条の最初の言葉だけを切り取って、「日本人は和をもって貴しとなす民族なのだから、議論がヘタで苦手である」などと、もっともらしい事を言う。これを左の人たちの「自作自演」という。

 

3.欧米ではディベートが盛んで、賛成派となって議論したら、今度は反対派となって議論するということが、訓練として盛んに行われている。かつての日本でも同じで、ひとりひとりが歴史の当事者となって・・・つまり家康や信長になって、一定の決断をどうしてくだしたのかを考え、披露し、互いに磨きあうということが普通に行われていた。
これはつまり、ディベートそのものだ。要するに、十七条憲法の第一条は、「仲良くしなさい」と言っているのではなく、「しっかりちゃんと議論しましょう」と言っているのだ。しかも議論の際には、相手を呪う、つまり人格攻撃をしてはいけませんよ、と述べている。振り返って現代では、政治に関する報道は、ちゃんと議題についての意見ではなく、ことごとく政治家個人への中傷になっている。
それを視聴して、視聴者がなんとも思わないというのは、現代日本人の頭がおかしくなっている。その理由が教育にあるとしたら、まさにそれは教育の大罪ともいうべきものだ。

 

4.GHQは、日本に上陸した年である昭和20年12月31日に修身、日本史および地理教育の「無期停止」を発令している。これを受けて文部省は昭和22年に、同教育の「廃止」を宣言した。占領軍さえ、いわば「一時停止」にとどめたものを、日本の文部省が「廃止」にしてしまった。
これは、「そのクルマ、一時停止しなさい」と言われたので、クルマそのものを廃車にしましたみたいなものだ。
そして廃止状態は、いまも続いている。GHQがどうして日本の「修身、日本史および地理教育」を停止せよと言ったのかというと、この三教科が、日本人の思考力や洞察力を養い、日本人の民度を爆上げさせていると知っていたからだ。この三科目の教育を奪われた日本人は思考力を失い、ただ暗記することしか能のない人たちが社会のエリートと言われるようになった。記憶力が良くて思考力のない人に、現状の変更はできない。自分の頭で考えることができないからだ。日本国政府が言う「自主的に決めます」は、そのまま「米国の言う通りにします」という意味と同義になる。

5.そのような人たちに日本を変えるというのは、およそ不可能に近いことといえる。日本は思考力や洞察力を取り戻した人たちによって変わる。ということは、日本が目覚めるためには、民衆が思考力と洞察力を取り戻していく必要がある、ということだ。GHQの指示のままだと、日本人は、いわば羊の群れと同じだ。リーダーが曲がると、全員が曲がった方に付いていく。その意味で、日本社会をリードする優秀なリーダーは必要だが、偏差値40の高校に、偏差値75の秀才が入ってきても、それはただの突然変異株として、社会から排除されてしまう。国民の偏差値を、40から50に上げるだけで、トップ集団は偏差値65オーバーになる。55になれば、トップ集団は75以上となり、東大や早稲田慶應も視野に入るようになる。つまり、日本人社会全体のレベルアップが必要なのだ。思考力と洞察力についてだ。全体のレベルが上がると、集団のリーダーのレベルがあがり、社会が良い方向に変革される。