小さな政府の失敗 | ある女子大講師

小さな政府の失敗

小さな政府の失敗

1.高福祉・高負担の大きな政府か、低福祉・低負担の小さな政府かという問題は、戦後の経済政策の争点でした。1970年代まではケインズ以来の大きな政府を志向するリベラル派が主流でしたが、財政赤字とインフレが世界経済の混乱をまねき、サッチャー・レーガン以来の小さな政府が多くの国民の支持を受けた。日本でも中曽根政権の国鉄・電電民営化や小泉政権の郵政民営化で「新自由主義」の改革がおこなわれたが、2000年代からゼロ金利とデフレが続き、財政危機が遠のいた。安倍政権は日銀に国債を買わせ、消費税の増税をたびたび延期して大きな政府を目ざし、小さな政府の時代は終わったようにみえた。

 

2.しかしウクライナ戦争で状況は変わり、またインフレ・金利上昇の時代になった。超高齢化する日本では社会保障給付費が130兆円を超え、国民負担率は45%を超えて、現役世代の負担は限度に来ている。団塊の世代が後期高齢者になる来年からは医療費が激増するが、その負担が減る見通しはない。戦後の保守本流は「小さな政府」だった。資源がなく貧しかった日本の税収は少なく、国債は建設国債しか発行できなかった。岸信介は戦時国債の経験から赤字国債を許さず、赤字国債(特例公債)が初めて発行されたのは1965年だった。その後も赤字国債は毎年、国会で特別法を可決しないと発行できず、歳出をいかに削減するかが政権の最重要事項だった。

3.自民党の右派は均衡財政主義で、行政改革が政権のコアだった。中曽根政権の国鉄・電電民営化のあと、小沢一郎氏が首相官邸への機能集中や小選挙区制などの改革を実施し、英米型の新自由主義を継承する予定だった。彼の『日本改造計画』の序文には、グランドキャニオンの体験がこう書かれていた。

3.国立公園の観光地で、多くの人々が訪れるにもかかわらず、転落を防ぐ柵が見当たらないのである。もし日本の観光地がこのような状態で、事故が起きたとしたら、どうなるだろうか。おそらく、その観光地の管理責任者は、新聞やテレビで轟々たる非難を浴びるだろう。[中略]これに対して、アメリカでは、自分の安全は自分の責任で守っているわけである。

鮮烈な「強い個人」による小さな政府の宣言だった。私を含めて多くの人が「これで日本は変わる」と期待したのだが、それは幻に終わった。その一つの原因は小沢氏の独善的な政治手法にあったが、もっと根本的な問題は日本人の国家意識にあると思う。