紫式部はフェミニストだった | ある女子大講師

紫式部はフェミニストだった

紫式部はフェミニストだった

1.紫式部はフェミニストという視点で源氏物語を読み解くのは小説家の奥山景布子(きょうこ)さん。「フェミニスト紫式部」は、源氏物語にどんなメッセージを込めたのか。奥山さんに話を聞いた。 この見方は前からあり、元法政大学教授の故駒尺喜美先生(日本文学)の「紫式部のメッセージ」(朝日選書、1991年)などが出ている。 紫式部日記には、漢籍(中国の書物)がなかなか理解できない弟に対し、紫式部は習得が早かったので、父が「そなたを男子として授からなかったのは私の不運だった」とコメントする場面が書かれている。

 

当時、漢文は男性が仕事で使うもので、女性が身につけても生かす道はあんまりない。「男だったらよかったのに」と言われるようなことは、多くの現代の女性も経験しているのではないでしょうか。それをわざわざ自分の日記に書き残した紫式部は、フェミニズムに関心を持つ現代の女性と同じような感情を抱いていたと十分考えられると思います。 源氏物語の構造も画期的です。 最初に「桐壺」の巻で光源氏の生い立ちが描かれ、「さあ、いよいよ光源氏の恋物語が始まるのか」と思いきや、次の「帚木(ははきぎ)」の巻では男ばかり4人が集まって女について話をする「雨夜の品定め」という場面になります。どういう女がいいと長々しゃべり、「こんな女は嫌だ」と漢文が大好きで、男を指導してしまうような感じ悪い女の話も出してくる。 明らかに紫式部自身を意識して書いていて「私みたいに漢文にやたら詳しい女がいたら男たちはみんなこうやって笑うんでしょ」とやって見せる。男性のホモソーシャル的空間やミソジニーをきちんと書いているんです。 源氏物語以前の物語の多くは一人の貴公子が出てきて、女性みんなに裏表なく優しい。源氏物語はそんな絵空事、ファンタジーな世界でなく、「男たちがボーイズクラブでどんなことを言っているのかは承知している」「これはすごくリアリティーのある世界の中の話よ」と紫式部が「帚木」の巻で宣言している気がします。

2.源氏物語とは

平安時代中期(11世紀初め)に紫式部が創作した物語文学で、世界最古の長編小説ともいわれる。紫式部は栄華を極めた平安貴族・藤原道長の娘で一条天皇の中宮(后)の彰子(しょうし)に仕えた。 源氏物語は1帖(巻)「桐壺(きりつぼ)」から始まり全54帖。平安時代の華やかな宮廷を舞台に、光源氏の父から孫まで70年余りにわたって恋愛や栄華、苦悩などの生き様が描かれる。 物語は主人公の光源氏の栄華への軌跡(第1部)、晩年の憂愁(第2部)、源氏亡き後の次世代の物語(第3部)に分けられる。紫式部自筆の原本は確認されておらず、人々が手書きした写本だけが伝わってきた。後世の芸術や文学などに多大な影響を与えた。

支配された女性たちの自立

今回、読み直して新しく気がついたのは物語の随所に出てくるマンスプレイニング(男性が女性を下に見て説教すること)です。 光源氏が良かれと思って女性たちにいろんなことを教える場面が多く出てきます。女性たちは表面上、それを黙って聞くのですが、内心では実は……、などと描かれる場面もけっこうあります。 現代でも、「面倒臭いから言い返さないけど、実はそんなことは私の方がよく知ってる」とか「あなたにそんなアドバイスは求めてない」ってこと、よくありますよね。源氏物語の本文から「教える」という単語がどういう場面で使われているかを調べたんですが、光源氏が女性たちに何かを教える場面がやはり多くて、しかも印象に残ります。 一番そうした目に遭っているのが紫の上。彼女は今風にいうと光源氏に拉致され、育て上げられ、肉体関係を持たされてしまってから、ようやくすべてのいきさつが実の父親に知らされる。身もふたもないかもしれませんがそういう物語ではありますね。マンスプレイニングだけでなく、当時、男性が自分の立場で知らず知らずのうちに女性に対し抑圧的なことをしてしまう文化は当然生じています。一番の被害者は紫の上というところがしっかり書かれていると改めて感じました。 紫の上は人生全部を光源氏に支配されて、女性からすると「なんてかわいそうな」と思ってしまうのですが、男性から見ると「あんなに大事にされて」とすごく見方が変わる。それが「若菜 下」の巻で、光源氏と紫の上の対話として描かれています。 光源氏に「あなたは他の女性に比べて幸せな人生を送ったよね」と言われた紫の上は、その場では言い返さないけれど、光源氏がいなくなった後、たくさん物語を並べて「いろんな目に遭った女も最後は幸せになれることが多いのに、なんで私は最後につらい思いをしているのだろう」と発病し、緩やかに死に向かっていきます。 一方、何もかも源氏に教えられてきた紫の上ですが、最後は自分で「終活」をしていきます。当時は仏道に近いところで余生を送るのが理想でした。けれど光源氏は出家を許してくれない。そこで彼女は自分で仏教を学び、立派に法会を営むというシーンが出てきます。 最期、彼女は、源氏をとりまく他の女性たちに歌を送ってさりげなく別れを告げ、自分が育てた養女に手を取られて死んでいきます。光源氏の腕の中で、ではないんです。光源氏は茫然と見ているだけ。そんな描写にも、一人の女性が求めたかったこと、やろうとしたことが書き込まれているんです。そこを読み逃さないでほしいと思います。

3.不幸な境遇を生き抜く女性たち

源氏物語をテーマにカルチャー講座の講師を務めたりすると、「なんで登場する女性たちがみんな不幸に」という感想をもらったりするのですが、それだけではないということをぜひ知ってほしいと思います。確かに不幸であるかもしれないけれど、一人ひとりがどう生きようとしたか、あがいたか、抵抗したかが丁寧に描かれています。 例えば、夕顔(光源氏のライバルである頭中将の元恋人。光源氏の恋人になり、もののけに襲われ命を落とす)は、なぜ光源氏と付き合いだしたのでしょうか。 夕顔は貴族の家柄に生まれ、生きる選択肢が少ない中で、貴族と結婚するか、よその家に女房(宮仕え)として勤めるしかありません。女房になるためのつてを求めることもできない女性だと、誰か殿方と交際し、頼るしかないのです。 自分が隠れ住んでいる家の外に、たまたま、いかにも身分ありそうな男性の(牛)車が長いこと駐まっていたら――。光源氏かもしれない、頭中将かもしれない。そこで光源氏の気を引くような歌を贈ってアクションを起こすのは、女性が生きるためにはやむを得ないことです。 「自分はどうやっていけば生きているか」をちゃんと選んでいる人でいうと、花散里(光源氏の妻の一人で、光源氏の正妻が産んだ夕霧の親代わりになった)もそうです。 ルッキズムというと(作中で醜く描写されている)末摘花が注目されるけれど、末摘花本人は自分が醜いことを自覚していません。一方、花散里は自分が容貌に恵まれていないことを自覚していて、どうやって生きていくかを結構、戦略的に考えているのです。 容貌に優れた人がいっぱいいる光源氏の女性たちの中で、控えめで出しゃばらず、光源氏にとって都合のいい女性であり続けています。一方、人のことをよく見ていて、案外批評的な目を持っている。光源氏の息子の夕霧が、周りのアドバイスに耳を傾けないような状態でも、花散里の話だけはちゃんと聞いたりするシーンがあります。

4.女性たちに寄り添い距離を置く、紫式部の複眼的視点

(源氏物語のラストである)宇治十帖は、尻切れトンボに終わっているとよく言われるけれど、最近、あそこで終わっている意味がやっとわかった気がします。 浮舟は2人の男に翻弄されて入水しようとまで思い詰め、尼になりますが、その過程で彼女が言葉を得ていく様子が描かれています。浮舟は、登場時は周りの人の目を通してしか描写されていません。本人の心の声が書き込まれないまま、どんどん不幸になっていきます。それが、途中から歌を詠むようになるのですが、それがほぼ、独り言なんです。 浮舟は作中で一番多く歌を詠んでいる女性ですが、誰かに向けて詠んでいるのではなく、自分の気持ちと己が向き合うために歌にすることがどんどん多くなっていく。浮舟を追いかけていくと、痛い目に遭った女性が言葉を獲得していく過程がよくわかります。 そうすると最後、尼になり、「男たちとは当分会いたくない」と思ったとき、彼女は自分の物語を書き始めるのではないか。著書の中では「ナラティブセラピー」という形で浮舟を取り上げましたが、とてもつらい目に遭い、死まで覚悟した彼女が、今まで自分が体験したことを自分の言葉で書くのかもしれません。彼女が「私はこんな目に遭って」「私をこんな目に遭わせた男のルーツはここにあって」というように過去にさかのぼって書いたのが源氏物語なのかも……などと想像を巡らせることもできます。 源氏物語は、こうした女性たちのチャレンジとか、目指したかったことが書かれている物語であり、そこを読むと紫式部がフェミニストだったというのは決して間違った見方ではないと思うし、それぞれの人物に込められている思いは受け取れるのでないかと思います。 紫式部はなぜ、こうした視点で書けたのか。よく言われているのが、とても観察力がある。また共感力はあるけれど共感だけでは終わらない人でもあります。 日記を読んでいると、単に共感して同情するのではなく、「私はそうは思わないけれど、あなたの立場に立ったらそうよね」と距離を置ける人だという印象があります。人間関係も人見知りなりに上手に作っていっていく様子が感じられます。作中ではそれぞれの人物の視点で膨大な歌を作っています。複眼的な物の見方ができたから、こうした長編が書けたという気がします。

5.女性が書いた古典文学を自由に豊かに論じたい

小説家になる前、平安文学の研究者だった私は、「雨夜の品定め」について論文に書こうとしたことがあるけれど、十分にできませんでした。当時の自分がホモソーシャルやミソジニーという概念を十分に使い切れていなかったのです。 当時は、「現代の物の見方を古典の世界に持ち込むな」という風潮が研究者の間に強くありました。ジェンダー的な視点で論じようとしたら「それはあなたの主観でしょう」と言われたこともあります。論文査定の段階で「何がジェンダーだ」と言われたときは、かなり傷つきました。くじけてしまったし、表現が萎縮してしまって、どんどん論文が書けなくなってしまいました。 小説家になり、読み方が自由になったというのはあります。今回は一般の読者に伝わったらそれでいい、と書いたのですが、研究者の方からも「よくぞ書いた」という反応がありました。今なら「何がジェンダーだ」という発言は問題になるだろうし、私が大学院生だったときは、教員はほぼ男性でしたが、女性も増えました。世の中が変わってきたと思います。 今回こうした本を書いた背景には、「このままでは古典を読みたい人がどんどん減ってしまう」という危機感がありました。 源氏物語は本来、紫式部が女性読者をターゲットに書き始めた作品なのに、古典の権威に祭り上げられ、男性側の読みが中心になってしまった。一方で、現代では「こんな女性がみんな不幸になる話は嫌だ」なんて受け取られてしまう。丁寧に読めばそれだけじゃないことはよく分かるはず、と紫式部が込めたメッセージを伝えたいと思いました。 源氏物語だけじゃなく、鎌倉時代の「無名草子」や「とはずがたり」など、女性が書いたとされる、面白くて紹介したい作品がいっぱいあります。源氏物語をはじめ1000年以上も前に、女性が書いたことがはっきりしている文学作品がこれだけたくさん残っている国はそんなにないのではないでしょうか。日本の古典文学の世界はこんなに豊かだと知ってもらいたいのです。