『技術革新と不平等の1000年史』上下(早川書房) | ある女子大講師

『技術革新と不平等の1000年史』上下(早川書房)

1.ダロン・アセモグル & サイモン・ジョンソン『技術革新と不平等の1000年史』上下(早川書房)では、技術革新に基づく生産性向上が必ずしも生活の改善にはつながらず不平等が拡大する歴史をひも解いている。著者は、ともに米国のエコノミスト。アセモグル教授はそのうちにノーベル経済学賞を取るんではないか、とウワサされ、ジョンソン教授は国際通貨基金(IMF)のチーフエコノミストも務めている。英語の原題は Power and Progress であり、2023年の出版ということで、実に巧みに邦訳タイトルがつけられている。

 

2.Progress が技術革新に当たっていて、Power の方が権力者による不平等の基礎、ということになるんだろうと思います。ものすごく浩瀚な資料を引いていて、さすがに、私も所属している経済学の業界でも優秀な知性を誇る2人の著者の水準の高さが伺えます。ただ、いろいろと傍証を引きつつも、結論は極めてシンプルです。すなわち、経済が発展成長する素である技術革新、イノベーションは生産性を向上させ、もちろん、生産高を増大させることは当然で、これを著者たちは「生産性バンドワゴン」と読んでいますが、こういった生産性向上が自動的に国民生活を豊かにするわけではなく、その利益を受けるのはエリート層であって、決して平等に分かち与えられるわけではない、ということです。

 

3.特に、現在のような民主主義体制になる前の権威主義的なシステムの下では、生産性の向上により労働が楽になったり、短くなったりするとは限らず、逆に、労働がより強度高く収奪されてきた例がいくつか上げられています。例えば、中世欧州では農業技術の改良によって飛躍的な増産がもたらされましたが、人工の大きな部分を占める農民には何の利益もなく、むしろ農作業の強度が増していたりしましたし、人新世の画期となる英国の産業革命の後でも、技術進歩の成果を享受したのはほんの一握りの人々であり、工場法が成立するまでの約100年間、大多数の国民には労働時間の延長、仕事の上での自律性の低下、児童労働の拡大、それどころか、実質所得の停滞や減少すら経験させられていました。

 

4.こういった歴史的事実を詳細に調べ上げた後、当然、著者2人は現時点でのシンギュラリティ目前の人工知能(AI)に目を向けます。すなわち、ビジネスにおいては、AIを活用して大量のデータを収集・利用して売上拡大や収益強化を図る一方で、政府もまた同じ手法で市民の監視を強化しようとしていたりするわけです。国民すべてに利益が及ぶように、テクノロジーを正しく用いて、社会的な不平等の進行を正すには、ガルブレイス的な対抗勢力が必須なのですが、組織率の長期的低下に現れているように労働組合は弱体化し、市民運動も盛り上がっていません。先進国ですら民主主義は形骸化し、国民の声が政治や経済に反映されることが少なくなっていると感じている人は多いのではないでしょうか。それでは、こういったテクノロジーの方向に対処する方法がないのか、という技術悲観論、大昔のラッダイト運動のようなテクノ・ペシミズムに著者たちは立っていません。

 

5.かといって、技術楽観論=テクノ・オプティミズムでもありません。日本の電機業界が典型だったのですが、生産性の向上が達成されると雇用者を削減する方向ばかりでしたが、逆に労働者を増やす方向に転換すべきであると本書では主張しています。その典型例を教育に求めています。もちろん、エコノミストらしく税制についても自動化を進めつつ労働者を増やすようなシステム目指して分析しています。アセモグル教授は、かつて『自由の命運』で「狭い回廊」という概念を導き出していましたし、この著作でもご同様な困難がつきまとう気がしますが、企業に対する適切な規制や税制をはじめとする政策的な誘導、そして、何よりも、そういった技術を自動化とそれに基づく労働者の削減に向けるのではなく、テクノロジーを雇用拡大の方向に結びつける政策を支持するような民主主義に期待したいと思うのは私もまったく同じです。photo

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