何としても「一条天皇の正妻」の座を勝ち取りたい | ある女子大講師

何としても「一条天皇の正妻」の座を勝ち取りたい

何としても「一条天皇の正妻」の座を勝ち取りたい

1.平安時代の権力争いはどのようなものだったのか。芸能界きっての歴史通で『松村邦洋まさかの「光る君へ」を語る』(プレジデント社)の著者でもある松村邦洋さんは「貴族らは自分の娘と天皇に男の子を産ませるために必死だった。天皇を魅了する品格や教養を身に付けるため、紫式部や清少納言も参加した『文化人サロン』があったほどだ」という。

 

2.藤原北家の内部で始まった権力争い  「光る君へ」は、恋愛ドラマの大御所である大石静さんの手掛けるストーリーがすごく魅力のあるものになっていますね。ドラマのように、紫式部(=まひろ、吉高由里子)と後の最高権力者・藤原道長(柄本佑)が昔から知り合いだったという記録は実は残っていない。  

 

3.1年間続くドラマの中では、主人公であるまひろよりも道長のほうが前面に出てくることもある。一昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(2022年)や同じ時代を扱った「草燃える」(1979年)でも、北条義時とその姉の政子がダブル主人公のように交互に前面に出てきた。それと似たパターン。大河ドラマでも初めて取り上げる時代、藤原氏、その中でも特に藤原北家が朝廷の中で権力を握ったけれど、その北家の中での争いが始まる。

 

4.ドラマでは道長は「三男」。その北家の面々はというと、まず道長の父、藤原兼家(段田安則)。藤原北家の中で当初は三男坊のマイナーな存在だが、兄弟どうしの激しい抗争を勝ち上がり、やがて摂政・関白・太政大臣の座を手にする。頂点に立った頃の兼家は、自分の荘園などから、今で言えば年収3億~5億円の収入を得て、120メートル四方の敷地に建った寝殿造の大豪邸――数十億円相当――に住んでいた。当時の庶民が何百年働いても買えない金額。その兼家の子は男女合わせて10人。道長は五男だが、正室の時姫(三石琴乃)が生んだ男の子は道隆(井浦新)、道兼(玉置玲央)と道長。「光る君へ」は、このくくりで道長を“三男”として扱っている。兼家の後釜を狙うライバルは北家以外の藤原氏に何人もいたが、この道隆、道兼、道長の三兄弟とその息子、娘たちがドロドロの権力闘争の中心となる。

 

5.権力を握るには「天皇のおじいちゃん」になる  「『華麗なる一族』と『ゴッドファーザー』を足して3倍にしたくらいの面白さ」というNHKの触れ込みは、藤原北家という華麗なる一族の中で、コルレオーネ・ファミリーの3兄弟のような愛憎劇が展開する、ということなんだと思います。  では、この時代に権力を握るには何をどうすればいいのか。ちょっと説明が長くなりますが、ここからドラマの中の道長とまひろ=紫式部、そして登場したばかりのもう1人の大物有名人、清少納言(ファーストサマーウイカさん)との人間関係が見えてきます。  一言で言うと、天皇の外祖父――母方のおじいちゃん――になる、つまり自分の娘を天皇の妻にして、次の天皇となる男の子を産ませるわけです。そしてその子が即位したときに、その代理人みたいな顔をして好き勝手をするわけです。 ■当時の結婚は婿入り婚  兼家の場合なら、娘の詮子(吉田羊さん)に産ませた円融天皇の子・懐仁親王を一条天皇(塩野瑛久さん)として即位させることがそれに当たります。“天皇のおじいちゃん”になるために、藤原北家の男たちはあの手この手で、時の天皇と自分の娘をくっつけようとするんです。  当時は天皇に限らず、男には嫁が何人もいてOK。「妻問い婚」と言って、夜な夜な男のほうが嫁の家に通っていました。通い婚とも言います。男は見初めた女性に対し、仲介者を立ててそのお父さんのOKをもらい、露顕(ところあらわし)、つまり披露宴を開いて始めて結ばれるんです。  この妻問い婚、一見してその日によって好きな女性を選べる男にとって都合が良さそうに見えますが、実は婿入り婚、つまりマスオさんですね。しかも、できた子どもは嫁の実家で育てますから、そこで一番えらい人、つまり嫁の父親が力を持ちます。  父親が婿の後ろ盾になってくれる半面、父親に「お前はダメだ」と言われたら、男はいやでも離婚しなければなりません。

6.天皇に好かれるための「文化人サロン」  もっとも、天皇のように父親が絶対ノーと言わなそうな男なら、それこそ相手はよりどりみどり。後ろめたさもなく何人もの嫁さんとセックスできるし、気に入った女性のところにだけ通えばいいわけです。  すると、天皇に好かれて足を運んでもらえるような“魅力”をどう身に付けるのかが、嫁とその父親にとっての大問題になります。その魅力の基準が、当時は品格や教養だったんです。  学校のない時代、自分の娘に天皇を夢中にさせるような品格・教養を身に付けるためにどうしたのかというと、優秀な貴族の女性を何人もスカウトして、言ってみれば家庭教師として側に付け、和歌や習字、音楽などを叩き込みました。彼女たちは「女房衆」と呼ばれ、誰もが相当な教養の持ち主だったそうです。  こうして権力者である父親を後ろ盾にした、将来の皇后・中宮候補である娘、それを囲む女房衆という、文化人のサークルというかサロンがいくつも出来上がっていきます。 ■華やかなサロンが権力争いの最前線  ここまで来ればもうおわかりだと思いますが、清少納言と紫式部はそういうサロンのメンバーだったんです。清少納言は道隆の長女・定子(高畑充希さん)の、紫式部は道長の長女・彰子(見上愛さん)のサロンにスカウトされ、それぞれがタッグを組んで一条天皇の“一番のお気に入り”を目指します。  定子は本当にドラマチックな生涯を送った女性で、側に付いた清少納言の『枕草子』の中でもキラキラなヒロインとして登場します。一方の彰子のサロンにも、和泉式部や伊勢大輔、赤染衛門(鳳稀かなめさん)といった後に名を残す女流歌人の面々が名を連ねていました。  この華やかなサロンが、実は道隆・道長兄弟の外祖父ポジション獲得バトルの最前線というわけです(次男・道兼の娘の尊子は、道兼の死後に生まれたそうです)。  清少納言の初登場は、2月11日放送分で道隆とその妻・高階貴子(板谷由夏さん)が開いた漢詩の会でした。これを機に道隆夫妻にスカウトされるのでしょう。まひろも同席してましたね。  ただ実際は清少納言は紫式部より10歳ぐらい年上で、実際には宮中にいた時期もズレていたせいか、2人がどこかで鉢合わせしたという記録は残っていないのですが、大石さんはストーリーの中でうまく同席させていましたね。  「光る君へ」の中の道長は、最初は権力争いなどとは無縁のノホホンとしたキャラクターでしたが、道兼をぶん殴ったあたりから少し変わってきましたね。「鎌倉殿」で、田舎の豪族の真面目な次男坊・義時が、血みどろの抗争で勝ち上がっていったのを思い出します。  やがて「この世をば……」というオレは全てを手に入れた! と宣言するような歌まで詠む最高権力者にのし上がっていく、その片鱗を見せ始めたというところでしょうか。  (参考文献:繁田信一『殴り合う貴族たち』角川ソフィア文庫)

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