並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史 – 2018/11/30 倉山満 (著) | ある女子大講師

並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史 – 2018/11/30 倉山満 (著)

並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史 – 2018/11/30 倉山満 (著)

1.日本史と世界史とを並べるだけで、歴史の本質が驚くほどよくわかる!「日本は長らくノンキな国でいられた。近代史においては『世界史』に巻き込まれ、それを明治維新に始まる近代化で乗り切り、大日本帝国を自滅で滅ぼしてからは再びノンキな国に戻っている。ヨーロッパ人が日本にやってきて、日本は世界の歴史に巻き込まれた。だから、西洋人とはどんな人かを知ることに集中すればよい。といっても難しい話ではありません。西洋人中心の『世界史』を、我々が常識的に知っている『日本史』と並べるのです」……(「はじめに」より抜粋)

2.聖徳太子とムハンマド、源頼朝とインノケンティウス3世、織田信長とエリザベス1世……。同時代の人物を比べてみれば、いかに日本が幸せ(ノンキ)な国であったのか、ヨーロッパがその対極にあったのかがよくわかる。二つの異なる歴史のどうしても押さえておきたいポイントを学びながら、日本の独自性と強みまでをも理解できる、気鋭の歴史家による「同時代史」という新たな試み。

3.〈目次〉
第1章 7世紀―聖徳太子とムハンマド
第2章 8世紀―平城京と聖像禁止令
第3章 9世紀―桓武天皇とカール大帝
第4章 10世紀―平将門とオットー1世
第5章 11世紀―院政と十字軍
第6章 12世紀―源頼朝とインノケンティウス三世
第7章 13世紀―北条時頼とポーランド騎士団
第8章 14世紀―室町幕府とオスマン帝国
第9章 15世紀―応仁の乱と百年戦争
第10章 16世紀―織田信長とエリザベス1世
第11章 17世紀―三十年戦争と鎖国
第12章 18世紀―七年戦争と天下泰平の日本

4.著者について。倉山満:憲政史家。1973年、香川県生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。在学中より国士舘大学に勤務、日本国憲法などを講じる。シンクタンク所長などをへて、現在に至る。『明治天皇の世界史 六人の皇帝たちの十九世紀』(PHP新書)、『日本史上最高の英雄 大久保利通』(徳間書店)、『国民が知らない 上皇の日本史』(祥伝社新書)、『嘘だらけの日独近現代史』(扶桑社新書)など、著書多数。

参考:憲政史家。1973年、香川県生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。在学中より国士舘大学に勤務、日本国憲法などを講じる。シンクタンク所長などをへて、現在に至る。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの。

5.7世紀から18世紀の日本史と世界史を並列比較した著作。
とは言え、膨大な量の史実を扱うには限度があるであろう…本書ではそれぞれの時代で鍵を握るような人物、若しくは具体的な事例をピック・アップし、両者を通して日本と世界(取り分け欧州)とをそれぞれ考察している。
内容は全て目次で確認出来るのでここでは省略させて頂くが、ポイントを絞っている分解り易く、然も肩がこらない程度にカジュアルな文章に好感が持てる。
また、随所に参考文献や著者お薦めの書籍を挙げているが、これまた比較的読み易いものばかりを厳選してくれているので、幅広い読者層の心を掴む事が出来るであろう。

因みに、並列して取り上げている人物/事例は同時代と言うだけで、決して関連性がある訳でもなければ共通点が見出せる訳でもないのだが、著者が指摘する所の「呑気な日本」を浮き彫りにするべく対比させており、例えば「ビザンチン帝国の陰湿な陰謀に比べれば道鏡の野心などは可愛いもの」「応仁の乱は百年戦争と違って宗教戦争になっていないだけマシで、拷問も無ければ野蛮な殺しも無く、常識があった」…等と言う流れに導いて行く。
即ち、著者の言う「呑気」とは決して悪い意味ではなく、日本はそれだけ安定していて平和だったと言う意味であり、それが最終的に18世紀に日本は呑気ではいられなくなり、世界史に巻き込まれて行くという結論に到達するのである。

尤も、論点を絞り込んでいる所為で、各章に於いては日本史はともかく世界史の方は欧州の僅かな一部分だけにしか触れる事が出来ていない。
依って、解り易くはあるものの、本書を以て決して世界史全体を見渡す事は出来ないし、やや断片的に感じられてしまうのは否めないかもしれない。
また、著者は本書の中で“欧州偏重”の教科書批判を繰り返しており、寧ろ日本を過大評価し過ぎているのでは…と思えなくもない部分もあるし、「呑気」と言うのも日本が欧州よりも優位という意味合いに使用しているようにも思えるのだが、どうだろうか。
いや、私が学生として日本史や世界史を学んだのは遥か昔の話なので、寧ろ、著者がしつこく警鐘を鳴らさなければならない程に今の教科書は自虐的な内容に埋め尽くされているのか…?!と、その方が気になってしまった。
こうした意味に於いては、客観的に史実を纏めているのではなく、著者の考えが前面に打ち出された作品なので、それこそ“教科書”的に史実を学びたい方には不向きでもあり、歴史認識について様々な見方がある…という事を知りたい事にこそ推薦出来る一冊と言えよう

6.この本は面白い!同時代の日本史と世界史をリンクあるいはクロスさせて俯瞰する、という発想自体が斬新で、インスピレーションをかきたてられるが、それ以外にも、興味をそそるトリビアなエピソードが各章に満載で、読んでいて楽しかった。

まず第1章では、ムハンマドと聖徳太子が比較対照されている。聖徳太子は、言うまでもなく、仏教を我が国に初めて本格的に取り入れた人だ。他方、ムハンマドは、イスラム教の創設者である。ほぼ同時代の両者とはいえ、航海術の未発達な当時、両者に直接の接点がないのは当然であるが、比較対照はそれ自体、興味をそそられる。本書の記述をつらつら眺めながら、こういう疑問が浮かんできた。「現代の日本仏教は穏健な宗教であり、人生に迷いを生じている人に一定の指針を与える深みを有しているが、イスラムの方は、イスラム国のように世界中の人々に恐怖と憎悪をまき散らす狂信的な集団を一部生んでしまっている。この差はどこから生まれたのだろう?」

その答えが本書にあるわけではないが、自ら考察してみる。太子が仏教の本格的導入にあたり特に重視した経典が、法華経・維摩経・勝鬘経という大乗仏教のものだったことは重要だろう。現世を否定し厳しい修行をしない限り人は救われない、というのではなく、在家でも、精進を重ね正しく生きていけばよい、というものであったからだ。これは、同様の志向を持つ平安時代の弘法大師や伝教大師の出現につながったと言ってよく、更にはそこから浄土宗や禅宗、日蓮宗の繁栄を生んでいった。この歴史的経緯も併せ考えると、聖徳太子は、まさに、日本仏教の最大の恩人であると言って過言でない。他方、イスラムは、もともとは暴力を肯定する宗教ではないが、イスラム教徒の多い中東諸国に対し、西側による資源収奪の不幸な歴史があるために、過激分子の、イスラムに名を借りた報復がなされていると言えるように思う。総じて日本では、宗教が宗教として人々に受容されているが、中東では宗教が闘争の道具に援用されることが多い。だが、現在、我が国の宗教のあり方が、本当に我々にとって救いになっているのかと言えば、疑問も大きい。

さて本書では、第10章で織田信長と、エリザベス女王を対比している(この二人が同時代、というのも指摘されてみると、ああそうか、と思うが、意外と気づかないところだろう)。ともに戦いに明け暮れた人生であり、エリザベス女王の方は、スペインの無敵艦隊を破ってイギリス発展の礎を築いた。だが、彼女の死後、歴代の王は無能な暴君ばかりが続いたためにイギリス国家は荒れ、それがやがてクロムウェルの清教徒革命につながっていった。他方、信長は、桶狭間の戦い、長篠の合戦、と戦国時代を象徴するいくつかの戦いを制し、天下統一の目前まで迫ったが、本能寺にて倒れた。

だが、信長には、エリザベスとの大きな違いがあった。それは、「有能な後継者(秀吉)に恵まれた」ことだ。秀吉は信長の事業を総仕上げし、天下統一を成し遂げた。戦乱の世に終止符を打つうえで特に重要だったのは「刀狩り」であろう。また、カトリック勢力(スペイン・ポルトガル)が領土的野心を秘めていることをいち早く見抜き、禁教令や国交断絶を断行したのも、我が国の安寧を守ったという意味で、当時としては英断だったろう。

このように、倉山さんが本書で対比を試みている人物、出来事は、有名なものばかりである。にもかかわらず、横において対比するだけで、こんなに面白く、また、勉強になるとは意外だった。本書を参考に、別の人物(あるいは出来事)の対比を自分でやってみようか、とも考えている。

7.世界史対照年表

http://s-yoshida1.my.coocan.jp/.../sekaisi-taishou...

http://s-yoshida1.my.coocan.jp/.../sekaisi-taishou...