
もう11月も中盤にさしかかりました。
激走する「だんじり」が恋しくなる時期ではないでしょうか。。。
激走する「だんじり」が恋しくなる時期ではないでしょうか。。。
思えば今年の岸和田祭りからもう二ヶ月にもなるんですね(汗)..
ということで、今年撮影させていただきました岸和田・大工町のレポをご覧いただきたいと思います。
荒々しい豪快な「やりまわし」の大工町。
その昔は、船の建造を請け負う船大工が多数居住していたことからとされ、当初は“船大工町”と
称されていたそうな。。。
その昔は、船の建造を請け負う船大工が多数居住していたことからとされ、当初は“船大工町”と
称されていたそうな。。。
その象徴として有名なのが「長刀(なぎなた)」と「番匠笠(ばっちょがさ)」。
その昔、岡部の殿様が海の大シケに遭遇された際、大工町の漁師さんがいち早く救助に向かい、
無事に港まで御座舟を守りきったという功績をたたえ、拝領されたものだとか。
その昔、岡部の殿様が海の大シケに遭遇された際、大工町の漁師さんがいち早く救助に向かい、
無事に港まで御座舟を守りきったという功績をたたえ、拝領されたものだとか。
それから・・・
大工町を語る上で忘れてはならないのが、遠くからでもよく響く太鼓。
“カミナリ太鼓”とも呼ばれるこの太鼓は、とにかく音のボリュームからして大きい(汗)♪♪
大工町を語る上で忘れてはならないのが、遠くからでもよく響く太鼓。
“カミナリ太鼓”とも呼ばれるこの太鼓は、とにかく音のボリュームからして大きい(汗)♪♪
前置きはこのへんとしまして、
では、今や貴重な存在となりました大正時代作の地車、ぜひご覧ください。。
では、今や貴重な存在となりました大正時代作の地車、ぜひご覧ください。。

▲本年試験曳き前、地車庫前にて。
ゴッツイ太鼓の音で腹の底から「ブゥ~~~ン」と鳴り響きます。。
さぁ、出発!

▲前後の姿見です。
どっしりとした風格があります。

▲疎開道にて、平方向からの姿見です。
私が小学生の頃、初めて大工町の地車を見たときの印象は「長いだんじりやなぁ~」でした。(汗)
我が町は短い(先代)地車でしたので、長い地車は羨ましかったんです。。。

▲正面の屋根周りです。
平成に入ってからの大修理で懸魚・破風・箕甲など屋根周りが一新され、豪快感が増しました。。
組物は三手先で、古い地車独特のシルエットを形成。

▲「大工町」と書かれていない交差旗。。
でも、大工町とすぐわかるのは唯一のデザインだから。

▲お待たせしました。
林峰師の土呂幕まずは正面「敦盛の最期」です。

▲お次は・・・平右「本多出雲守、荒川熊蔵の一騎打」。

▲そして左の平「道明寺の戦いにて奮戦する後藤又兵衛基次」です。

▲その後藤又兵衛基次をアップで。
“後”の文字が見えますね♪
細かい仕事です。。。

▲主屋根枡合い三方です。
このときは化粧姿でしたので、極太の金縄で両平の彫刻が見えませんでした・・・残念(涙)。。
正面「敦盛の最期」
平右「鎮西八郎為朝の剛弓」
平左「頼朝の朽木隠れ」

▲後屋根枡合いは、二重見送りになってまして・・・
ご存知「本能寺」。

▲もういっちょ、今度は平方向から。
森蘭丸の姿が見えますね。。

▲さて、見送り(下段)に参りましょう!
脇障子の彫刻と銘です。

▲見送り正面から。

▲個性豊かな表情の馬乗り。。

▲竹の節の獅子にはガラス眼が入ってました。

▲こちらは、近年、池内工務店さんの手により組み込まれた梃子掛けの彫刻。
“船大工”の町にふさわしい「波に濱千鳥」。。
★今年の曳行風景です。





◆大工町地車紹介◆ ●製作:大正12年 大工:朝代市松 彫師:一元林峰、吉岡義峰(助) ●主な彫刻 主屋根枡合:正面「敦盛の最期」 平右「鎮西八郎為朝の剛弓」 平左「頼朝の朽木隠れ」 土呂幕:正面「薄田隼人、徳川本陣討入」 平右「本多出雲守、荒川熊蔵の一騎打」 平左「後藤又兵衛の勇戦」 見送り:(上)「本能寺」 (下)「大坂夏之陣」

地車の新調完成をあと2年に控えた大工町。
その完成も楽しみなのですが、長い歴史を刻んできた大正時代作の現地車が岸和田から嫁いで行くのは
とても感慨深いものです。。
来年はいよいよラストラン。
大正12年生まれのこの地車に最も注目が集まりそうですね。
大正12年生まれのこの地車に最も注目が集まりそうですね。