東海地方の焼き物産地である愛知県瀬戸市。
その瀬戸市赤津町で、現在も最長老として黄瀬戸を中心に織部・御深井・粉引・鉄釉系を手掛ける陶芸家、
1928年(昭和3年)8月6日生まれの 加藤廉平 (かとうれんぺい)先生の酒器・ぐい吞🍶の紹介です❕
廉平先生のご自宅🏡兼ギャラリーにお伺いし、頂いた正真正銘、新品未使用品です👍
加藤廉平 先生の 「黄瀬戸ぐい吞」 です🍶
・瀬戸市無形文化財「黄瀬戸」保持者
愛知県瀬戸市赤津町で瀬戸焼の陶祖、加藤四郎左衛門景正(かとうしろうざえもんかげまさ)の家計で、
尾張徳川家の御用窯として代々加藤唐三郎を名乗る窯元の三男に生まれ、
瀬戸赤津伝統の黄瀬戸・織部釉の作品を主に手掛けられております❗
今では大変希少となった、瀬戸・美濃古陶を模した伝統系の黄瀬戸・織部を手掛ける数少ない陶工です😊
この黄瀬戸のぐい吞は、桃山時代に瀬戸(美濃)窯で生まれた黄瀬戸の向付を模して、
廉平先生が独自にぐい吞として意匠したものです😉
廉平先生が黄瀬戸を手掛ける過程で一生の師匠は桃山期の陶工が作った黄瀬戸の伝世品や陶片なのです❕
側面に草花文🌿を彫り込み、その模様の上からタンパンと言われる硫酸銅で緑色の模様を付け、
輪花文🌸には鉄を施し、茶色く縁取りされています👀❕
これも桃山時代の黄瀬戸に見られる手法のひとつです。
廉平先生の黄瀬戸作品の特徴は、黄色味を抑えた色合いに、
釉薬も光沢を抑えた雰囲気があります❗
黄瀬戸には「油揚手(あぶらげで)」と言われる、油揚げのように表面に油を塗ったかのようなもの珍重されますが、
廉平先生の黄瀬戸は、どちらかと言うと油揚げのようにヌルッとした感じでは無く、水に浸した感じです❕
この釉調を出すのが難しく、温度が低いと焼きが甘くなってしまい、
少しでも温度が高くなってしまうと、光沢が出てしまい廉平先生の求める黄瀬戸にならなくなってしまうのです💦
長年の経験と研究から生まれた黄瀬戸なのです🥰
上から見ると90歳を超えた廉平先生の衰えることのない美しいロクロ🌀の技術を感じれます😁
内側にも緑色の硫酸銅タンパンが見えますが、
これは表側に塗ったタンパンが、内側まで染み込んで現れた「抜けタンパン」と言われているもので、
これも黄瀬戸の特徴で珍重されるもののひとつです❗
高台部分にも釉薬が掛けられています。
また高台の造りも見事で、美しいカンナの削りの技術を感じます💪
廉平先生の彫り名、れんぺいの「れ」が見えますね👀
付属の桐箱の箱書きがまた素晴らしいのです👏👏
非常に濃い墨で書かれた、廉平先生の真面目な性格が現れた作品名と廉平作のサイン。
この字は長年の練達した書の技術が無ければ書けません❗(書道の先生も顔負けの字ではないでしょうか・・・😅)
この👆のぐい吞は廉平先生が特別にボクにくださった作品🍶で、
萩焼風に作ってみたものだそうです。
廉平先生の遊び・余技でこんなに美しく品のある萩焼を作られてしまったら、本場の萩の作家さんはかわいそうです😅
やっぱり名匠の方は、なんでも個性を出しながら素晴らしいものを作れるんだなぁ~と感じます✨
それと・・・もう一点👇
ボクが持っている廉平先生の黄瀬戸ぐい吞です❕
「黄瀬戸ぐい吞」
桃山時代の黄瀬戸六角盃を模して廉平先生が作ったぐい吞です🍶
「本物(桃山)の黄瀬戸六角盃はタンパンは無いのですが、
この私のぐい吞にはタンパンをいれました・・・」と😉
ボクのお気に入りですよ~🥰
加藤廉平先生は現在94歳。
今年の8月6日で95歳になられます❗
現在も瀬戸の最長老、名匠として作陶を続けられております。
長年素晴らしい黄瀬戸を追い求め研究し、近くの瀬戸や美濃の山々から採取した自然の植物🌿を灰にして釉薬を作り、
自分の理想とする黄瀬戸を追い求められています😊
「黄瀬戸はハッタリのきかない地味な焼き物です。展覧会向きな派手な作品ではありません。
そういう控え目な黄瀬戸の性格が私の性格に合うんです・・・」
廉平先生👴と奥様👵をお写真に残させていただきました📷パシャリ
ボクの人生の中で加藤廉平先生、奥様と出会えたことが一生の思い出です😊✨✨✨
「あと、どれだけ残りの時間が私に残されているか・・・
その時間を目いっぱいに使って、黄瀬戸とともに終わろうと思います・・・」