自分が愛するやきものの町…愛知県瀬戸🔥
そんな瀬戸の戦後10年頃(1950年頃)の町の風景の写真集を紹介します
岩波写真文庫 「やきものの町‐瀬戸‐」 です📚
1955年10月25日発行 当時の定価100円
瀬戸のグランドキャニオンと呼ばれている採石場で働く人たち
素焼き用の窯から運び出す器たち
窯詰め作業
釉薬かけ
煤煙を吐く石炭窯
窯出しの日の検品
器を幾つかずつ重ねて出荷用の縄かけ作業
窯クソ置き場の回収
(割れた茶碗や粘土の焼けたものなどの窯焚き後に出たクズを窯クソと呼んで、市で回収していた)
赤津町の山並み
旭町の陶磁器生産工場
品野町の風景
雑然と並ぶ陶器店のせともの
内職するお母さん(後ろの赤ちゃんは現在70歳くらいかな…?)
お母さん、子供たちで石炭窯から出たクズからコークス拾い
器に上絵付けのお手伝い
(瀬戸では子供も手伝い、よく働き家族労働で支えられていた)
12月30日、仕事場、ロクロも掃除をして仕事納めの忘年会
この65年以上前の写真集📚で、活気あるれる瀬戸の風景を知ることができました
当時の瀬戸では人口八割の人々の仕事は何らかのやきもの🔥に従事し支え💪られ、
朝☀️から晩🌕までやきもの、やきもの、やきもの…❗
ただ瀬戸の繁栄🌟や明るい部分だけでなく職業病もあったようで、
「瀬戸の雀は真黒け」というが、事実、街で真白な犬や猫を見かけない。
遊んでいる子供の鼻の孔は一様に黒い。
瀬戸では一日500屯の石炭と松薪が灰になる。
この煙と珪砂のほこりとが瀬戸の悩みである。
これが珪肺病(現在はじん肺と言われているそう)の原因になるといわれている。
結核の発生率が全国平均よりぐんと高い。
特に20~40歳の働き盛りの人がこれで倒れる。
現在の瀬戸は瀬戸の玄関口、瀬戸線🚃の尾張瀬戸駅を🚶出ても、
やきもの町の風景は感じることができません💦
瀬戸のやきもの産業はどんどん衰退し、
これから10年、20年後は瀬戸はやきものの町🔥ではなくなってしまうかもしれません
現在の瀬戸川は川の底まで見えますが🐟、
当時の瀬戸川の水は…いつも白く濁っている。
流れの幅は狭く、両側に白い粘土の州ができている。と
この65年前は日本の陶磁器生産額は四割が瀬戸❗
お隣美濃も合わせると七割のやきものを瀬戸と美濃・生産していました😮‼️
そんな日本の陶磁器生産を支えた💪瀬戸の働き盛りの20歳から30歳の方々も現在80から90歳👴。
瀬戸の繁栄🌟を知る方とともに、やきもの町🔥の風景も消えてゆこうとしています
日本の陶磁器製品、特に日用食器を支えた瀬戸のやきもの「せともの」
この瀬戸の在りし日の瀬戸の風景を見て悲しい気持ちになってしまう💦、
やっぱり自分はやきものの町、瀬戸が好きなんだなぁ…