今後の社会福祉はどうあるべきか | 倉敷市の社会保険労務士・行政書士 板谷誠一 雑多な日記

倉敷市の社会保険労務士・行政書士 板谷誠一 雑多な日記

社会保険労務士・行政書士として仕事している板谷誠一の雑多な日記です。私は岡山県倉敷市に事務所を構えています。

数ヶ月前のことだが、日本弁護士連合会主催の高齢者・障害者権利擁護の集いに参加した。はじめに厚生労働省本省課長クラスの人が厚生労働省(一部法務省)の高齢者・障害者政策について講演を行った。



その講演の中で、国の社会福祉政策がどのように変わってきたかを説明されていたが、その政策の理念はそれなりに理解できた。しかし、その理念は幅広く国民に理解されていない気がした。もっとも、社会福祉関係者はその理念は十分理解している人が多いだろうし、その理念を理解している人は仕事をうまく行っているのだろう。もっと、国はその理念を説明し、国民に理解してもらう必要があるだろう。



上記の状態は、まるで後期高齢者医療制度の状態のようだ。後期高齢者医療制度の理念について、僕は十分納得できる。その理念は、社会福祉政策の理念とつながる部分があって、国の高齢者に対する考え方はどの制度も根本的に同じだと考えている。しかし、国民の中には、「後期高齢者医療制度はお年寄りにひどい制度だ、こんな制度を廃止してしまえ!」と思う人も多く、結果として国は多くの保険料減免措置を行ってきた。



これらの意見が間違っているとは思わない、確かに今まで保険料を支払っていなかった人からも保険料を徴収するわけだから反発があるのは無理もない。しかし、それは制度の一部しか見ていないと感じる。



抽象的なことしか書いていないが、もう少し具体的に書けば、反対意見の根本には「高齢者はかわいそうだ」「高齢者を何とかしてあげないといけない」という考えがある気がする。障害者についても同様な考えだろう。しかし、この見方に問題があったというのが国の考えだと感じている。



結論をいえば、「高齢者や障害者を何とかしてあげよう」ではなくて、「高齢者や障害者が自分らしい生活を行うためには何をすればよいのだろうか」という考えが国の考えだと感じる。よく知られたキーワードで言えば、「措置から契約」である。



僕は、後期高齢者医療制度や障害者自立支援制度に反対する人は、措置のような考え方を望んでいるような気がするが、その考えではもはや社会全体の理解を得るのは困難だろう。高齢者、障害者も一人の人間である。もっと、個々人の権利を擁護するという考えが大切だ。高齢者・障害者を単に高齢、障害ということだけで措置を行うこと自体が、個々人のことを考えていない。



別の会合で、ある介護事業所の代表者がこんなことを言っていた。


「○○さん(介護事業所を利用している高齢者)は、地域のみんなに支えられて生活している。ただ、○○さんも地域のみなさんを支えているのである。」


ようは、高齢者・障害者が一方的に支援をされるべきではなくて、他の人を支援している場合もあるわけだ。


少し話は変わって、社会保障制度について、高福祉高負担、中福祉中負担、低福祉低負担いろいろな制度設計があるのだろうが、今後どの制度が最も受け入れられるだろうか。目先の利益にとらわれずに制度を考えるべきだろうが、それは難しいだろう。



単純に言えば、現役世代は保険料は安い方がいいだろうし、高齢者世代はもらえる年金が多い方がいいだろう。お互いがお互いの利益ばかり主張しても何も解決にならない。お互いの世代に分かってほしいことは、「年金は保険制度であること」「給付に係る費用は、今の保険料でまかなわれていること(賦課方式)」である。ようは、お互い支えあっていくのが前提である。



しかし、それも難しいから税金で何とかしろという。昨今の利害関係の調整が難しい事情を考えればヤムを得ないかもしれない。ようは、生活保護のような仕組みが納得いくのだろう。



話をまとめれば、今後の社会福祉政策について、結局どのような政策が幅広く国民に理解されるのかを考える必要があるだろう。単に、国が悪いなんていう考えはあまりにも無責任だと感じる。少なくとも僕は、どのような制度が持続可能かについて自分なりの意見を持ちたいし、可能であればそれについていろいろな人と議論をしたい。