今年もビュンビュン
と早いもので
師走も半ばになりました。
義叔母が入居する施設から
「看取りの段階」を告げられてから
3ヶ月近くが過ぎました。
一時 持ち直して
少しずつ食べられるように
なったものの 1ヶ月ほど前
再び飲み物しか
受け付けなくなったので
施設の方から「葬儀社の手配を」
とのお話があり 夫の茨城行きは
バタバタと続いています。
しかしそう言われてからも
1ヶ月経過しています
夫は おばのお寺の住職さんとは
お顔も存じないので
お会いして挨拶をしてきたそうです。
施設からすれば
もしもの時へのスムーズな
対応の準備なのでしょうが
まだ叔母は存命中なので
なんともかんとも複雑です。
おばさんの生命力がかなり
素晴らしい❣️ので 再びの復活も
あるのでは?と思いはじめています。
こればかりは予定は立てられず
なんだか悶々とした気持ちの中
毎日が過ぎています。
そんな中で夫は
「考えても仕方ないのだから
いつも通りでいいから」と
言うので 私は友人との集まり
やおでかけなども遠慮なく
行かせてもらっています。
後ろめたさはあるけれども🙇🏻♀️
でも やはり
気持ちは重たいです
仕事をしていることで多少
気持ちは紛れていますが…
叔母さんは義父の末の妹です
叔母さんと私たち夫婦の行き来が
始まったのは2000年の
お正月に 義父が餅を詰まらせて
亡くなってからのことでした
私は結婚の際に
義父とは一度も会うことなく
嫁とは認められなかったので
(理由は自分が選んだ嫁ではないから)
親類の方々とはどなたとも
一度も顔をあわせることも
ないまま15年以上過ぎていました。
ほんとにまぁ 今では
化石のような話ですが
まっ、これはこれで
面倒な親類付き合いから
解放されてラッキー🤞な
部分もあったわけで😅
夫は祖父母と暮らしていた
時期があったので
幼少の頃から叔母さんとの
関わりはあるものの 近い
関係になったのは義父亡き後
からとか
ご主人に先立たれたおばさんは
最初は夫のいとこの三姉妹に
面倒を見てもらうつもりだったけれど
途中 折り合いが悪くなり決別
その後 おばさんは
年に数回 顔を見に行っていた
夫を頼るようになりました。
おばさんの希望であちこち
旅行にも連れていきました。
おばさんに
夫と一緒に会いに行くときには
私は黙って横で座っている…
程度の関わり方だったので
深く話したこともなければ
おばさんの個人的な歴史も
価値観や好みも深く知る由も
なかったわけで
そんな関わり方だったおばさんが
もう余命幾許もない状況のなかで
気持ちは正直なところ
バチが当たるかもしれないけれど
身内への哀惜の思いはなく…
ちょっと一歩二歩下がって
離れて見ているかんじです。
おばさんは義父の妹なので
難しくない方、なわけはなく
こちらとしても心開くことも
ないまま今に至ります
まぁでも おばさんとも
何かのご縁で繋がって
いるのだろうと思います。
粛々と…人の道って言うのかな?
おばさんの生涯に思いを馳せながら
優しい気持ちを忘れずに
動いていきたいと思っています。
🐈⬛
我が家のご長老23歳のクロ♀も
まだまだ本当に元気でして…
ちびたは5年も若いのに逝っちゃて。
いったい何歳まで生きるんだろう
と不思議に思うほどです。
今朝もチュールを喜んで
美味しそうに食べました❣️
こちらも素晴らしい生命力だと
思います。