亡くなる前々日までカリカリもたらふく
食べ チュールも1日3本食べた上に
午前3時頃には
日課のようにチュール催促を
していました。私はあまりの要求
に"静かにしなさいよ‼️"と叱りに
行きまして クロは賢い仔だったので
言われるといつもピタリと静かになり
朝まで待てる仔でした
老猫なのに声がかなり大きく
生命力溢れるクロは まだまだ
長生きするだろうと勝手に
信じて疑わなかったわけで
朝6時にクロの部屋をのぞくと
痙攣を起こして苦しんでいるのを発見し
慌ててタオルでくるんで落ち着かせ
ようとしたのですが とても抱えられる
状態ではなく 横にさせて撫でるのが
精一杯でした。苦しそうに鳴く姿も
見ていられず 長い時間に感じました。
発作が止んだ時には瞳孔は
開き 呼吸も弱く
ピクリとも動かない状況となり
慌てて家族LINEで子供達に
知らせました。
子供達3人は午前中にやってきて
クロに会うことができました。
ほどなく逝ってしまうかと
覚悟をしたのですが 午後からは
奇跡的に?意識が戻ったクロでした。
スポイトで水やチュールを口に運ぶと
飲み込むようになり 更に立ち上がり
少しだけ歩くようにもなりました✨
そうなるまで私は 最期になるなら…
叱らずにチュールをあげれば良かった、
大好きなブラッシングと綿棒での
耳掃除もいっぱいやってあげれば
良かった、と後悔ばかりだったので
実に嬉しかったです なので
何度も何度もブラッシングをして
頭なでなでと優しく耳ホリホリを
やってあげることができました
クロは気持ち良さそうにしていました
しかし翌日には奇跡の復活から一転
水さえ受け付けなくなり
弱い呼吸で眠るばかりでした
そんな1日が過ぎての翌朝のこと
再び痙攣を起こし
もう声をあげて苦しむこともなく
まもなく呼吸が止まりました
夫が「2日間の闘病とはクロちゃんは
見事な最期だよな…」とポツリと
天寿という与えられた命の全う
だったかな?とも思えますが
チビタとの共存生活では
居住エリアを分けるしかなくて
我慢させたことも多く
かわいそうな猫生だったかな
とも思ってしまいます
ブログでも何度か書いていますが
正直 私は犬派で クロは息子が
拾ってきて仕方なく飼った猫でした
クロはメスながら
気性がウルトラ激しい性格で 家族は
何かと手を焼いたり困り果てたことも
多く 正直なところ充分に心から
可愛がって育てたか?と問われると
そうとは言えず クロの死を
冷静に受け止める自分がいます。
でも一方で 居なくなってしまうと
なんとも心にぽっかり穴が空いて
しまった感じで 気持ちの持っていき場
がありません。ずーっとクロが居た部屋
にクロが居ないのは やはり悲しく辛いです
やっぱり家族だったんだな…と
思えるのは25年近いクロとの歴史が
あったからだと思います
猫の年齢の人換算を調べても
20歳で100歳までしかないので
クロはおそらく125歳くらいかな?
と思います。猫ながら ちょっと
誇りに思えます
私が一番好きな写真です
実にきびしい猫でした
👇
"ありがとね がんばって
よく生きたよね❗️
私が行くまで待っててよ‼️"と
最後にクロに伝えました。
👶
ふたつ目
息子のところに女の子が
誕生しました
孫5になり 初めての女子ですが
5人になると もはや孫ズの
誕生日は覚えられません
今後は年齢も覚える気も
ありません
嫁さまは ちょうどこの子の
誕生日の一年前に原因不明の
感染症で緊急入院しました
その後もずっと
体調がすぐれず メンタルも危うく
なりかけての不妊治療後の妊娠で
出産までつわりに苦しんだ日々で
大変な1年だったと思います
無事に生まれてきてくれて
母子ともに
元気でいてくれることは
ただただ感謝です
今の世の中に目をやると
深刻化する異常気象や経済低迷
世界的には戦争や殺りくと…
悲観的なことばかりが多く
幼い孫たちのこれから生き抜く
厳しさはいかばりかと胸が
苦しくなりますが どうか
幸多き人生であることを
願ってしまうみっちゃんでした🙇🏻♀️
本当は…
三つ目‼️もあるのですが
結果的にめでたしめでたし
となった話で 長くなるので
また改めて記したいと思います。