最近、朝家を出る時に口にしようと意識している言葉があります。
僕が会社に行くのは、仕事をするためではない。
僕が会社に行くのは、成果を出すためである。
まぁ、SEという仕事柄、調整が中心になるので、どうしても成果中心の考え方よりも仕事の進め方中心になってしまいがちで、だからこそ口に出そうと心掛けています。
仕事は手段であり、何のためにやるかと言えば成果を出す為です。
仕事の中心はどこまで行っても「成果」であり、何を言っても「成果」が欠かせません。
会社という「場所」で、求められる「内容」は、「成果」以外の何物でもない。
しかし「成果」にコミットしない限り、永遠に「何を目標に仕事をするのか」の課題が付いて回り、最大限のコストパフォーマンスを発揮出来ない。
なぜならどんな人間でも、1日に与えられている時間は24時間です。
いかにして24時間を上手に活用するかが課題であり、そのためには最小限の時間をかけて最大限のパフォーマンスを発揮しないといけない。
であれば、一刻も早く「成果」に対してコミットメントする必要があると思う訳です。
そういう意味で、毎朝口にする訳です。
僕が会社に行くのは、仕事をするためではない。
僕が会社に行くのは、成果を出すためである。
自分の周囲が大変なことになっています。
このご時世、防御するということは衰退することと同意義なのに、あえて防御という選択肢をしてまで会社を守らないといけないのに、お金を湯水のように使いたがる人がいます。
それに反発して、なお一層、防御しようと思っている人がいます。
それに嫌悪して、ひねくれて、何をやっても無駄だと言わんばかりの姿勢を仕事をしている人がいます。
こんな環境で、ある程度は成果に着目して、成果のために仕事をしようとしている自分は、他の人よりもマシに見えるのでしょう。
三木内閣総退陣の後で「福田でも仕方が無い」という理由だけで総理大臣になった福田赳夫のよう、もっと言ってしまえば、天皇の信任が無いながら天皇の大命降下を受けて「自分は生まれてくるのが50年早かった気がする」と言った広田弘毅にでもなった気分だ。
自分がやらなくても良い。
むしろ、自分は適任ではない。
しかし、自分以外に出来そうな人間がいない―。
そんな心境です。
非常に辛いです。
出来れば逃げたい。
いきなり目覚めたら、出口の無い部屋に閉じ込められていたようなものだ。
だから逃げられない―。
自分がやらないと20人ぐらい野垂れ死ぬよなぁ……。
やらないかんよなぁ……。
このご時世、防御するということは衰退することと同意義なのに、あえて防御という選択肢をしてまで会社を守らないといけないのに、お金を湯水のように使いたがる人がいます。
それに反発して、なお一層、防御しようと思っている人がいます。
それに嫌悪して、ひねくれて、何をやっても無駄だと言わんばかりの姿勢を仕事をしている人がいます。
こんな環境で、ある程度は成果に着目して、成果のために仕事をしようとしている自分は、他の人よりもマシに見えるのでしょう。
三木内閣総退陣の後で「福田でも仕方が無い」という理由だけで総理大臣になった福田赳夫のよう、もっと言ってしまえば、天皇の信任が無いながら天皇の大命降下を受けて「自分は生まれてくるのが50年早かった気がする」と言った広田弘毅にでもなった気分だ。
自分がやらなくても良い。
むしろ、自分は適任ではない。
しかし、自分以外に出来そうな人間がいない―。
そんな心境です。
非常に辛いです。
出来れば逃げたい。
いきなり目覚めたら、出口の無い部屋に閉じ込められていたようなものだ。
だから逃げられない―。
自分がやらないと20人ぐらい野垂れ死ぬよなぁ……。
やらないかんよなぁ……。
人間関係は集約すると、この3パターンしかない気がする。
相手を受け入れる。
相手を拒否する。
相手を無視する。
拒否することは簡単ですし、無視することは力が要りますが、受け入れることが一番難しい。
けれど、受け入れることでしか、自分の人生は切り開けない気がする。
なぜなら、自分の人生は自分でしか切り開けないと思うのです。
つまり人生を変えるためには、自分を変えるしかない。
現状を変えるためには、どうしたら良いのか。
それは、やはり現状を受け入れ、現状を認める必要がありますからね。
拒否からも、無視からも、何も良いことは生まれない気がします。
現状を認め次のステップに進むことが必要やと思うのです。
相手を受け入れる。
相手を拒否する。
相手を無視する。
拒否することは簡単ですし、無視することは力が要りますが、受け入れることが一番難しい。
けれど、受け入れることでしか、自分の人生は切り開けない気がする。
なぜなら、自分の人生は自分でしか切り開けないと思うのです。
つまり人生を変えるためには、自分を変えるしかない。
現状を変えるためには、どうしたら良いのか。
それは、やはり現状を受け入れ、現状を認める必要がありますからね。
拒否からも、無視からも、何も良いことは生まれない気がします。
現状を認め次のステップに進むことが必要やと思うのです。
学生時代の友人に会ってきました。
なんだか、色々と悩んでいるようで話を聞いてきました。
彼の究極的な悩みは転職するか否かだったようですが、それよりかは自分らしい生き方が出来るか出来ないかで悩んでいるようにも思えました。
この不況の時代に、自分のスタイルが貫けないことに悩むことの自由さをどれくらい感謝できるだろう……と思っちゃいましたけどね。
そういや、それを考えると坂本龍馬って人は意味不明ですよね。
日本を洗濯するとか言って脱藩して、天敵と言われた薩長の同盟を結ぶ手助けをした。
今の世の中で言えば、世界を洗濯するとか言って、パレスチナとイスラエルの同盟を結ぶようなもんですよね。
周囲にそんな人がいたら、どうですか?
「はぁ?」
そんな扱いじゃないですかね。
今の時代でそんな扱いだったということは、当時の扱いもそんな感じだったんじゃないでしょうか。
いや、もっとか。
しかし、彼は受け入れられた。
なぜか?
言い訳しなかったからではないでしょうかね。
いや、とか、しかし、とか、でも、とか、坂本龍馬が言っているイメージが想像付かない。
まぁ、そういう情報が流れていないだけかもしれませんけどね。
自分の行動に責任を持ち、絶対に後悔しない。
自分の発言に責任を持ち、絶対に後悔しない。
だからこそ、人間は迷ってしまう。
ブレてしまう。
ただ、良いんじゃないでしょうかね、迷っても。
迷って迷って迷って、それで踏ん切りが着いたら思いっきり突き抜けましょうよ。
ズドン、と。
それまではいろんな人の意見を聞いて、ぐらついて、迷って、ふわついて、凹んで。
ここだと決めたら、鉄のように固い意志で、ひたすら動けば良いのではないでしょうか。
生きてから死ぬまで、ずっとベストの人生なんか無い筈です。
だったら、決断しない時期があっても良いはずですよ。
なんだか、色々と悩んでいるようで話を聞いてきました。
彼の究極的な悩みは転職するか否かだったようですが、それよりかは自分らしい生き方が出来るか出来ないかで悩んでいるようにも思えました。
この不況の時代に、自分のスタイルが貫けないことに悩むことの自由さをどれくらい感謝できるだろう……と思っちゃいましたけどね。
そういや、それを考えると坂本龍馬って人は意味不明ですよね。
日本を洗濯するとか言って脱藩して、天敵と言われた薩長の同盟を結ぶ手助けをした。
今の世の中で言えば、世界を洗濯するとか言って、パレスチナとイスラエルの同盟を結ぶようなもんですよね。
周囲にそんな人がいたら、どうですか?
「はぁ?」
そんな扱いじゃないですかね。
今の時代でそんな扱いだったということは、当時の扱いもそんな感じだったんじゃないでしょうか。
いや、もっとか。
しかし、彼は受け入れられた。
なぜか?
言い訳しなかったからではないでしょうかね。
いや、とか、しかし、とか、でも、とか、坂本龍馬が言っているイメージが想像付かない。
まぁ、そういう情報が流れていないだけかもしれませんけどね。
自分の行動に責任を持ち、絶対に後悔しない。
自分の発言に責任を持ち、絶対に後悔しない。
だからこそ、人間は迷ってしまう。
ブレてしまう。
ただ、良いんじゃないでしょうかね、迷っても。
迷って迷って迷って、それで踏ん切りが着いたら思いっきり突き抜けましょうよ。
ズドン、と。
それまではいろんな人の意見を聞いて、ぐらついて、迷って、ふわついて、凹んで。
ここだと決めたら、鉄のように固い意志で、ひたすら動けば良いのではないでしょうか。
生きてから死ぬまで、ずっとベストの人生なんか無い筈です。
だったら、決断しない時期があっても良いはずですよ。
試験が終わりました。
自己採点したら、合格でした。
良かった良かった。
で、試験の帰り道に、ふと考えることがありました。
「情報系の資格を持つことは、自分の成長を確認し、これを証明することである」
「しかし自分は会社に雇われ、会社の仕事をしなければいけない存在である」
「もし会社が成長するために、自分の成長を止めなければいけない場合はどうするべきか?」
「或いは自分が成長するために、会社も成長することが理想だが、そうはならなかった場合は?」
ここで言う会社の成長とは、市場シェアの拡大、それに伴う売上・利益の上昇、知名度の上昇だとします。
さて、ふとここで困ってしまいました。
どう考えても、日本人の99.9%は「会社の成長」を優先するのではないか、と。
一方で欧米は、恐らく「自分の成長」を優先し、自分を更に成長させるために「自分を成長させてくれる成長している会社」を選択するのではないか、と。
どちらが良い、悪いという話ではありません。
どちらにもメリット・デメリットがある話ですし、雇用環境(所謂、福祉や労務)や国家体制(どれぐらい自由主義か)などのバイアスもある話です。
ただ、1点言わせて頂けるのなら、日本は戦後、高度経済成長を歩む過程において、それまでの戦前で主流だったとされる「職人意識」(どうやら戦前は転職は当たり前だったみたい?)から「サラリーマン意識」へと大衆をある意味で洗脳させてしまった、そしてバブルが崩壊すると、その洗脳を急に解き「能力の無い奴は死ね」と言い出す企業が多いので、それは違うな、と思います。
その最たる代表例がトヨタが生み出した「カイゼン」ではないでしょうか。
製造の工程で、徹底して無駄を無くしましょうという思想だと僕は受け止めています。
そしてこの思想こそ、実は洗脳の最たる例だと僕は思うのです。
ネジを填める作業に10秒掛かっていたのが8秒になる。
填め終えた後のゴミ箱の位置を変えるだけで、1秒の短縮に繋がる。
それをしたからと言って、会社の利益率上昇に繋がれど、社員の、或いは派遣社員の成長にはほとんど一切、繋がらない訳です。
どの点で成長するかと言えば、会社から褒められて「よし、頑張ろう」とモチベーションを上げるぐらいで、しかもそのモチベーションの上昇も『組織内』で頑張ろうと思う範囲ぐらいで、その殻を抜け出し、自分の人生をより上手く切り開くために頑張ろう、という風にはとても聞こえない。
欧米のキリスト教的考え方では労働は罰だと考えられているらしいですが、日本は労働は正しい行為だと考えていますよ、それぐらい日本人は真面目で、勤勉なんです、と麻生太郎が言っていました。
小泉元首相や竹中氏も「派遣法を改正することで、働く機会や門戸を増やしたんだ!」と言っていました。
しかし労働における最たる基本的な、大切なマインドは労働は罰だ、労働は正しい行為だ、そんな金太郎あめ的な答えでは無いはずです。
ましてや、機会が開かれることで、誰でも就労出来るものですが、欧米人が言っているようにやりたくも無い仕事であれば罰でしかなく、開いた門戸が地獄の1丁目に通じる道であれば、それは政治家の役目として『戻り道』を用意しておくべきでは無かったか?と思います。
大切なマインドとは「何のために働くのか?」という自答ではないでしょうか。
労働の目的。根拠。理由。
マズローの欲求では無いですが、生きるためなのか、金のためなのか、家族のためなのか、自己実現のためなのか、それによって話は大きく変わるはずなんです。
ドラッカーの煉瓦の話でもあるように、労働、そしてマネジメントに対する立ち位置、考え方を変えるだけで、全く違う成果が出る筈なんです。
そして今の日本における不幸は、90年代以降、あまりに経営思想が迷走してしまって「何のために労働するのか」という根本思想を御座なりにしたまま、現在を生きていることではないでしょうか。
これなら、まだ護送船団方式の方が、まだマシですよね。
佐高信が馬鹿にしていた「社畜」がいて、彼らが「会社のため」に働いていた。
そして会社側は社畜の期待に答えるために、成果を出し、彼らを養い、時には満足感を与え、日々を暮らしていたんですから。
結局、今の悲劇は、労働の理由を掴み切れていないまま労働している人間が、余りにも多い点に尽きる筈です。
会社にすがれない。
かと言って、自分に自信が無い。
とりあえず、何となくサラリーマン。
学生時代にあれだけ「やりたい!」と言っていた仕事も、現実を知れば絶望し、幻滅して、辞めてしまう。
テレビなんかで派遣労働の人が「いや、農家はしんどい」と正直に吐露する人がいますが、そういった人に対して「生きるってのはそういうもんなんや」と言えるのは、桂ざこばぐらいか?
話が逸れました。
とにもかくにも、改めて冷静に考えなければいけない時代を迎えてしまいました。
恐らく、今後ますます、会社は会社だけの成長を考える時代になるでしょう。
その一方で社員に対しては社員の成長を促すでしょうし、社員の成長を会社に期待するな、という時代を迎える筈です。
そうなったとき、間違いなく二極化が発生します。
根本にあるのは、会社の成長だけを考え、社員はその成長のエネルギーだという考え方。汚く言わば、駒です。しかし言い換えれば、無くてはならない存在。
その中での二極化とは、つまり、
1. 社員は駒だから、成長は勝手に自分らでやってろ
2. 社員の自己実現を応援することが、社員の成長に繋がり、その成長が会社のエネルギーとなって成長に繋がる
という2点では?と思っています。
いずれにしろ、ただ何となく生きている、労働している、自分の3年後、5年後の人生設計が描けていない人間は生き辛い世の中になってきているのは間違いないでしょう。
自己採点したら、合格でした。
良かった良かった。
で、試験の帰り道に、ふと考えることがありました。
「情報系の資格を持つことは、自分の成長を確認し、これを証明することである」
「しかし自分は会社に雇われ、会社の仕事をしなければいけない存在である」
「もし会社が成長するために、自分の成長を止めなければいけない場合はどうするべきか?」
「或いは自分が成長するために、会社も成長することが理想だが、そうはならなかった場合は?」
ここで言う会社の成長とは、市場シェアの拡大、それに伴う売上・利益の上昇、知名度の上昇だとします。
さて、ふとここで困ってしまいました。
どう考えても、日本人の99.9%は「会社の成長」を優先するのではないか、と。
一方で欧米は、恐らく「自分の成長」を優先し、自分を更に成長させるために「自分を成長させてくれる成長している会社」を選択するのではないか、と。
どちらが良い、悪いという話ではありません。
どちらにもメリット・デメリットがある話ですし、雇用環境(所謂、福祉や労務)や国家体制(どれぐらい自由主義か)などのバイアスもある話です。
ただ、1点言わせて頂けるのなら、日本は戦後、高度経済成長を歩む過程において、それまでの戦前で主流だったとされる「職人意識」(どうやら戦前は転職は当たり前だったみたい?)から「サラリーマン意識」へと大衆をある意味で洗脳させてしまった、そしてバブルが崩壊すると、その洗脳を急に解き「能力の無い奴は死ね」と言い出す企業が多いので、それは違うな、と思います。
その最たる代表例がトヨタが生み出した「カイゼン」ではないでしょうか。
製造の工程で、徹底して無駄を無くしましょうという思想だと僕は受け止めています。
そしてこの思想こそ、実は洗脳の最たる例だと僕は思うのです。
ネジを填める作業に10秒掛かっていたのが8秒になる。
填め終えた後のゴミ箱の位置を変えるだけで、1秒の短縮に繋がる。
それをしたからと言って、会社の利益率上昇に繋がれど、社員の、或いは派遣社員の成長にはほとんど一切、繋がらない訳です。
どの点で成長するかと言えば、会社から褒められて「よし、頑張ろう」とモチベーションを上げるぐらいで、しかもそのモチベーションの上昇も『組織内』で頑張ろうと思う範囲ぐらいで、その殻を抜け出し、自分の人生をより上手く切り開くために頑張ろう、という風にはとても聞こえない。
欧米のキリスト教的考え方では労働は罰だと考えられているらしいですが、日本は労働は正しい行為だと考えていますよ、それぐらい日本人は真面目で、勤勉なんです、と麻生太郎が言っていました。
小泉元首相や竹中氏も「派遣法を改正することで、働く機会や門戸を増やしたんだ!」と言っていました。
しかし労働における最たる基本的な、大切なマインドは労働は罰だ、労働は正しい行為だ、そんな金太郎あめ的な答えでは無いはずです。
ましてや、機会が開かれることで、誰でも就労出来るものですが、欧米人が言っているようにやりたくも無い仕事であれば罰でしかなく、開いた門戸が地獄の1丁目に通じる道であれば、それは政治家の役目として『戻り道』を用意しておくべきでは無かったか?と思います。
大切なマインドとは「何のために働くのか?」という自答ではないでしょうか。
労働の目的。根拠。理由。
マズローの欲求では無いですが、生きるためなのか、金のためなのか、家族のためなのか、自己実現のためなのか、それによって話は大きく変わるはずなんです。
ドラッカーの煉瓦の話でもあるように、労働、そしてマネジメントに対する立ち位置、考え方を変えるだけで、全く違う成果が出る筈なんです。
そして今の日本における不幸は、90年代以降、あまりに経営思想が迷走してしまって「何のために労働するのか」という根本思想を御座なりにしたまま、現在を生きていることではないでしょうか。
これなら、まだ護送船団方式の方が、まだマシですよね。
佐高信が馬鹿にしていた「社畜」がいて、彼らが「会社のため」に働いていた。
そして会社側は社畜の期待に答えるために、成果を出し、彼らを養い、時には満足感を与え、日々を暮らしていたんですから。
結局、今の悲劇は、労働の理由を掴み切れていないまま労働している人間が、余りにも多い点に尽きる筈です。
会社にすがれない。
かと言って、自分に自信が無い。
とりあえず、何となくサラリーマン。
学生時代にあれだけ「やりたい!」と言っていた仕事も、現実を知れば絶望し、幻滅して、辞めてしまう。
テレビなんかで派遣労働の人が「いや、農家はしんどい」と正直に吐露する人がいますが、そういった人に対して「生きるってのはそういうもんなんや」と言えるのは、桂ざこばぐらいか?
話が逸れました。
とにもかくにも、改めて冷静に考えなければいけない時代を迎えてしまいました。
恐らく、今後ますます、会社は会社だけの成長を考える時代になるでしょう。
その一方で社員に対しては社員の成長を促すでしょうし、社員の成長を会社に期待するな、という時代を迎える筈です。
そうなったとき、間違いなく二極化が発生します。
根本にあるのは、会社の成長だけを考え、社員はその成長のエネルギーだという考え方。汚く言わば、駒です。しかし言い換えれば、無くてはならない存在。
その中での二極化とは、つまり、
1. 社員は駒だから、成長は勝手に自分らでやってろ
2. 社員の自己実現を応援することが、社員の成長に繋がり、その成長が会社のエネルギーとなって成長に繋がる
という2点では?と思っています。
いずれにしろ、ただ何となく生きている、労働している、自分の3年後、5年後の人生設計が描けていない人間は生き辛い世の中になってきているのは間違いないでしょう。