仕事で成長しよう、という言葉の胡散臭さ | それもまた良し

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関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

うちのチームに新卒が配属されたのですが、彼には口が酸っぱくなるぐらい「自分のために仕事をしろ」と言っています。絶対に「組織のために」とか「会社のために」なんて思うな。そう言っています。

うちの会社はいわゆるITソリューション事業が主です。
んでもって、うちのチームは技術、つまりSE・PGで構成されています。

まだコードが書ける新卒なら良いのですが、書けないなら「何もしない方がマシ」だと思っています。
新卒は入社して、まず「何もしないことを覚える」ことが基本だと思っています。

それが出来たら、次は「先輩の邪魔はしない」。
そして次に「仕事をしてみる」。

しかし、仕事をするということは、結果が付き物です。
成功か失敗しかあり得ない。
そして、諦めない限りは成功のチャンスがありますが、学生時代と違い成功か失敗かを判断するのは上長であり、顧客になります。

だから「組織や会社のために」仕事をするということは、通じて顧客のために仕事をする訳です。
危なくて見てられません。

それだけで、先輩の邪魔をしていると僕は思います。



だから、自分のために仕事をしろ、と言います。
当然、仕事内容は社内で済む類のもの。

例えば社内業務のシステム化とか。
そこで、コーディングの作法や、データベースの構造、開発プロセスの仕組みを覚えれば良いと思います。



また、自分のために仕事をしろ、というのは、与えられた環境で最大限のパフォーマンスを発揮しろ、という意味でもあります。

僕自身、自分のために仕事をしなさいと後輩に言いますが、同時にこんな小さい関西の会社で満足するな、とも言っています。
上には上がありますから、もっと上の会社で働くためにはどうするべきか考えない、とも言っています。

そのために何をするべきか?
どんな仕事をして、どんなプロセスで、どんな成果を出すべきか?

それを突き詰めて考えると、自分のために仕事をするということは、ある意味で如何に天才的な人間でない限り、所属する組織で成果を出すことを考え、一緒に仕事をする仲間と共に最高のパフォーマンスを発揮することを考えることになり、結果的にチームプレイを行えます。


自分のために仕事をしろ、というのは、自己のエゴを発揮しろ、ということではなく、自分が持続的に成長するためにどうすれば良いかを考えろ、ということなのです。



そういう意味で、人間は仕事で成長するかもしれません。
しかし、成長の行き着く先を考えないと、それは単なる無駄な浪費でしかありません。

映画「ハゲタカ」に『何のために働くのか』という問い掛けがありましたが、まさにそのとおり。
仕事で成長するというなら、仕事そのものはツールでしかありません。成長するための。

つまり、各人のビジョンを描き、それに見合った仕事でないと成長は見込まれないのではないでしょうか。



新卒に「自分のために仕事をしろ」というのも、ここにつきます。
自分のために仕事をするということは、自分自分の成長ビジョンを描きなさい、ということです。

ただ、何となく働かれたら、こちらが迷惑するだけなんです。



しかし、仕事で成長するという言葉には、そういう思想的背景が見えないので、嫌いです。
誰しもが同じ仕事で成長出来ない理由を、この言葉は解決してくれない。

胡散臭いんですよね。