21世紀を迎えた資本論 | それもまた良し

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関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

マルクスの資本論を少しだけ齧りました。

労働者は奴隷では無い。
はい、その通りです。

俺たちは商品では無い。
はい、その通りです。

だから?とも思うし、それで?とも思ってしまう。
しかし、何のために働くのか、なぜ自分は生きているのか考えていない人間に向かって訴えたら、胸に刺さるんだろうなぁ。なんて思います。



労働者は、何のために働くのでしょうか。
労働者は、何のために生きるのでしょうか。

そこまで考えている上で、俺らは奴隷じゃあねぇんだ!商品じゃあねぇんだ!って言うのなら解る。
今は資本論華やかな19世紀ではなく、華やかで血生臭い20世紀も終わり、ドラッカーが説いた知識社会の21世紀を迎えています。

ましてや、日本は先進国です。
マズローの欲求である、生理的欲求は満たせるでしょう。

このブログを見ている人は、安全の欲求すら満たせている筈です。
ただ、リストラされてしまった40代、50代の方やホームレスの方は別かも知れませんが。



で、思う訳です。

何のために生きているのか。

生きるために働くのであれば、じゃあ一生分の税金を国庫に納めた後で死ねばよいと思います。
先進国の日本で生まれて、上に行ける環境がある中で、何のために働くのか?なんて言えることに、まずは疑問を持つべきではないでしょうかね。



19世紀の時代に「人間の搾取」について書かれた資本論があるなら、21世紀の時代に再び「人間の搾取」について書かれた資本論を再び誰か書いて欲しいですね。

マルクスはある意味で、人間を信じていたのかも知れません。
搾取から解放された、資本家から解放された人間は自由になれると。

では21世紀の今日、どれだけの人間が「解放」されたでしょうかね。



ドラッカーは偉いと思います。

マルクスは労働者と資本家は別だと思ったのかも知れませんが、ドラッカーはそれが通用しなくなると喝破した。労働者もまた資本家であり、誰もがそれ相応の能力を持ち、磨くことが出来ると見破ったのですから。



始めから、人間は解放されていたはずです。

それを自ら「資本家」と「労働者」に切り分けてしまったのは誰か?
なぜ自ら「搾取される側」に向かってしまうのか?
自分の未来を自ら開拓し、切り開こうとしないのか?



新・資本論。
帯には「搾取される人間」ではなく、「『自ら』搾取される人間」と、雨宮なんとかさんに書いて欲しいものです。



で、出来れば22世紀は失敗者のセーフティネット網を完備するのではなく、失敗したら再挑戦出来る法整備を完備出来る世の中になって欲しいものです。

セーフティネットというのは血液が逆流しないための静脈弁と一緒で、一度落ちたら再び上にあがれない仕組みになっているのではないか?と思います。