人生の短さと儚さ | それもまた良し

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関西のとあるベンチャーで働くSEのブログ。

日々のインプットから、アウトプットを定期的に行うことが目標です。主に組織論やドラッカーの話題が中心ですが、タイトルにもあるように「松下幸之助氏」のような互助の精神を持ち、社会人として成長出来る事が最大の目標です。

生きる。


たった3文字の言葉なのですが、色々と複雑な意味を持ち合わせているものです。

僕自身が主体的になって「生きる」だけでなく、僕自身が『物語』として「生きる」こともあるかもしれません。
つまり、生きるとは、僕自身の主体性から成り立つ「生命」と、僕以外の主体性から成り立つ「物語」の2つの意味があるのではないか?と考えています。


先日、お亡くなりになられた三沢さんも、その生き様は「物語」となり、プロレスファンの心に「生き続けて」います。
だとしたら、三沢さんはまだ「死んでいない」のでしょう。

僕らが三沢さんを「忘れた時に、初めて三沢さんは死んだことになる」のだと思います。

結局、人間というのは、死ぬということは「生命を亡くすこと」であり、そして「物語を無くすこと」なのでしょう。
だからこそ物語は語り継がれる。



だとしたら、僕らは何をこんなに生き急いでいるのでしょうね。
こんなに生き急いだとしても、何も残らないのだとしたら、それは本当に生きたことになるのでしょうか。

人生は短い。
思っている以上に短く、あっという間です。

だからこそ、どんな物語を自らの手で生み出すか考えないといけないのではないでしょうか。
家族と、仲間と、社員と、地域と、国民と。



金、土地、名誉。
全て死んだら、その人の手元には残りません。

それでも、周囲は生きないといけない。
家族も、仲間も、社員も、地域も、人も、生き続けなければならない。

2500年以上もの歴史を持つ日本と、80年もの人生を生きる人間を比較しても、何と短いことか。
この春夏秋冬の季節を味わえるのが、あと80回しかない。



何と短いことか。
その短い人生を懸命に生き抜くことが、何と難しいことか。

だからこそ、人間は逞しく生きようとする。
胸を張り、顎を引き、正々堂々、威風堂々、人生を謳歌する。



生きている 気持ち噛み締め 前を向き 歩んだ生き様 よき物語