2009年、プロ野球が開幕した。
開幕ダッシュで幸先良いスタートを切ったのは、意外にも楽天であり中日だった。
今年、意外にも中日の前評判が悪い。
川上が抜け、ウッズが抜け、中村が抜けたから、当然と言えば当然である。
しかし、プロ野球が組織であることは間違いない。
言い換えれば、組織の血液の循環が一気に良くなった、と言い換えることも出来る。
落合という人間は、それを絶対的に理解出来ている男である。
ロッテ、中日、巨人、日本ハムと渡り歩いた落合氏は、恐らくスペシャリストでありながら、組織で戦うとは何か頭で理解出来たマネージャータイプの人間であった。
それは落合氏が、野球界の「奇跡」であったことを意味している。
今年、野村監督が落合氏に戦力が抜けたことを引き合いにして「今年は遣り辛いやろ?」と言った。
しかし落合氏は苦笑しながら「ノムさん、今年ほど野球監督としてやりがいのある年はないよ」と返したそうだ。
どういう意味か?
これを解くカギは、落合氏就任1年目に由来する。
落合氏は「この1年は補強を凍結し、個々の選手の能力を10%底上げして日本一を獲る」という公約を掲げた。
この年に、中日ドラゴンズは見事にリーグ制覇しているのだが、ここにこそ落合氏の「野球という組織の見方」が隠されている。
つまり、こういうことである。
戦力補強とは、何も外部から新戦力を連れてくることだけを意味しない。
組織の戦力を100だとして、10の戦力を外部から連れて来るよりも、100の戦力を110にする、という方法があるのである。
そして、もう1つ。
外部から10の戦力を連れてきたところで、それで10の戦力が2軍に落ちたら、何の意味もない。
これを90年代の巨人軍が経験している。
組織のリーダに立つ人間が、達成しなければいけないことは何か。
当然、最高の成果を出すことである。
問題は、どういったプロセスを経るかだが、意外に「配下の部下をどう見るか」に悩む人は少ない。
こいつはこうなんだ、と決めつけてしまう。
彼はこういう能力があるけど、恐らくこういう能力は無いだろう。
こういう現有戦力だから、早く外部からこういう能力を持って来て欲しい。
しかし、こういった考えは、時にマイナスとなる。
人間の持つ潜在能力、特に本当は持っている隠れた才能、能力の目を摘んでしまう可能性があるのだ。
落合氏が、どの段階で、何が切っ掛けでこういった考えを持つようになったのか解らない。
ただ、選手の能力を10%底上げする、と宣言したことで、誰が一番奮起するかを、恐らくトレードで中日、FAで巨人に移籍した落合氏は理解していた。
間違いなく、選手である。
外部から人材が入って来ることで、誰が一番危機感を感じることができるか?
それは内部の人間である。
例えば橋本知事や小泉元総理のように、あらかじめ対決姿勢で挑むことで、内部の人材の危機感を炙り出し、組織体制を活性化するという手段がある。
しかし組織とは人間で成り立つ。
その人間が、危機感だけで成果を出すことが出来るだろうか?
アメと鞭という言葉もあるかもしれないが、100人の人間に鞭を打って、100人の人間にアメを配ることは大変なことである。
大抵の場合、鞭だけ食らう人や、或いはアメだけを配られる人が必ずいる。
そこに現れるのは、不平であり不満である。
組織は不平や不満に必ず存在するが、噴出するともはや組織は間違いなく衰退する。
落合氏は、それをシャットダウンし、かつ組織を活性化する方法として、1つの方法があった。
それが10%の戦力格上げ論である。
自分がもし、組織の一員だとして考えて欲しい。
新しい組織のリーダーがやってきた。
その組織は、今まで良い成果を残してきたものの、抜群な訳ではない。
リーダは「現有戦力を10%かさ上げしただけで勝てる」と言った。
今までのリーダと違い、戦力が足りなければ直ぐに外部から人材を連れてくる人間と違う。
自分の役割を奪われずに済む。
本来であれば、そこに安泰と安定、慢心が生まれそうなものである。
落合氏がそこでとった手段とは何か。
それは12球団で一番キツイと言われる練習である。
理屈としては、10%の戦力底上げがあるから練習がきついのは当たり前だ。
当然、安泰も安定もそこには無かった―。
「ノムさん、今年ほど野球監督としてやりがいのある年はないよ」
この答えは何か。
それは戦力がダウンしたと言われる組織こそ、リーダとして組織を立て直し、再び成果を出すことが求められる。
落合氏はそれこそ監督の役割であり、役目だと思っている。
だからこそ、やりがいがあると言ったのだ。
落合氏がどういう軌跡を描いて、このような考えに至るようになったのかは不明である。
しかし、彼の野球監督としての思想は、リーダとしてのそれである。
今年は落合氏の発言に注目である。