2022年9月28日(水)
フリー素材ぱくたそ(pakutaso.com)
高校生になったころはナ、(自分含め)周りは聖子ちゃんだ明菜ちゃんだって云ってましたネ。
で、一学期の終わりごろ一瞬だけ親しくさせてもらったダブりの異性の同級生の影響でオフコースにハマった。
3年生になるころ、あれほど聖子ちゃんだ明菜ちゃんだと云ってた周りが一斉に洋楽にシフトしたからオレも対抗してカルチャー・クラブのファンになった。
そのまま社会に出て、駆け出しのころ、一瞬だけ親しくさせてもらった異性の後輩の影響で、BOØWY(ボウイ)にハマったけれど、すぐにラスト・ギグスになっちゃった……
80年代の終盤から90年代の半ばには、GIRLS POP'Sブームというのがあって、岡村孝子さんとか谷村有美さん、間にちょっと毛色は違うかもワカランが89年にWINK、93年にZARDを挟み、岡本真夜さん、加藤いづみさんとかにハマってました。
で、90年代後半からはSPEEDがいちばん大好きでしたね。
00年代は俗世間から離れてしまって流行歌を知らないんですわ。S.R太郎さんがよく慰問に来てくれましたね。
10年代以降は、世に知られていない、いわゆる地下アーティストの応援に力を入れるようになり、アニソンやアイドルソングに原点回帰しました。
要は学生時代(狭義には大学生ということであろうが、生憎あたしはそのような所に行ってない)から、あっちへふらりこっちへふらりとしたけれど、変わっていないということですわ
2013年には仮面女子にハマって、当初のイチ推しのK木Hなこさん、2014年のイチ推しのO本Y果さん、2015年のイチ推しのS羽T々華さんらは自己都合退所だけど、2016年に推したけれど、いろいろあって自ら離れざるを得なかったK下Y里さんが今や押しも押されもせぬリーダー職を務めていて、あの時は諸般の事情があったとはいえ、認知を失ったのは悔やまれることである。(ちなみに入所時から謎の事務所推しがあったM下Mぴっちゅがいずれ赤仮面を継ぐのは分かりきったコトだったから驚きはない)
近々別のところから動員がかかっている。
もう40歳も年少の方で、疑似恋愛にもならず疑似子育ての世界である。
老い先短い身で、若い者の期待を裏切り「やはりオトナは信用できない」と失望させたくはないし、自分も後悔したくないのである。
そして、松田聖子さんと中森明菜さんの対比であるが、今、客観的な評価をするなら、全盛期の歌唱力は、圧倒的に中森明菜さんの方が上だったと思う。
松田聖子さんについては、この40年間にファン→アンチ→無関心→再評価と目まぐるしく変遷したからここでは書ききれぬことである。
この項 了
