「追憶の2022年1Q」ムサシノ買い出し紀行 第3話
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まずは1曲。
日本テレビ系金曜18時のアニメ枠「鉄人28号」(1980-1981年)OPテーマ・ギミックで『太陽の使者 鉄人28号』
2022年1月~3月(第1四半期=1st Quarter) 主な出来事
1月1日、新春恒例御内人挨拶の儀。
1月4日、浅草寺に初詣。
1月4日、アキバの氷の国へ行く。
1月5日、仕事始め。花の御所に出仕。主流派、ますます傍若無人なり。
1月6日、エドの国、ムサシノの国(東京)、雪積もる。
1月8日、病身押し、花の御所に出仕。奥州(竹屋陸奥守兼鎮守府将軍)どのに会う。他は言葉交わせる者もなし。
1月10日、豆州(矢島伊豆守)どのとムサシノの国某所で約半年ぶりに会談。
1月11日、元日に届けた賀状の返信すべて来る。九重廷尉、野々宮御所の山中先生を音楽活動上のパートナーとすると云々。一方、永遠の憧れの君(2代目歌姫)、サインあれども住所氏名記載なしと。
1月12日、年の瀬押し迫ったあたりから前日ごろまで体調良好も、俄かに身心悩乱し、出仕できず。
1月14日、豆州どの誕生日のため、カード送る。
1月14-15日、病身押し、花の御所に出仕。14日は旧主流派(領袖は武州)、15日は新主流派(領袖は播州)が傍若無人のお振る舞い。耐える勢州に二位権別当大原卿はテレパシーで仰せられるに、「別にこんな所でダチなんか作らなくていいじゃないか。ダチなど居らずとも独自の居場所を作っておる河上肥後守鉄秋どのが良い例」と云々。
1月17日、18日、19日、諸般の事情により、休暇を頂き年末にできなかった大掃除(?)を行う。
1月20日、配電盤の数年に一度の点検。
1月20日、本家筋からみかん届く。
1月21日、俄かに身心悩乱し、下総中納言さまとの懇談延期。
1月21日、金曜ロードショー「新解釈・三国志」観る。橋本環奈演ずる黄夫人の性格設定に大いに笑う。
1月22日、病篤く、ご公務取りやめ。
1月24日、本家筋からりんご届く。
1月25日、体調回復モードに入り、10日ぶりにご公務復帰。頭痛の種は減らず。
1月26日、体調回復傾向と思いきや病ぶり返す。
1月27日、病身押し、花の御所に出仕。芸州(嶋崎安芸守)どのに1ヵ月ぶり、清原少納言夏美どのに2日ぶりに対面す。
1月27日、ミスアキバ2020ファイナリストでらなんなん賞みのフライさん(官職は佐渡守)に会うため西下するプランが浮上する。(のち3月7日の入籍により画餅に帰す)
1月28日、下総中納言さまに謁見。花の御所幹部の腐敗の実態をぶちまけるも、中納言さまといえど管轄外のことは如何ともできず、と。
1月29日、体力の限界、気力もなくなり病臥す。
1月29日、JCミスコン2021が終了し年が明けてから、配信に突然荒らしが巻き起こり。このまま放置すれば突然炎が吹き上がる懸念ありと、畏れ多くも姫君様に言上す。
1月29日、氷の国の雪の妖精・ましろフローライト=リリアンプリアンさん(ミスアキバ2020ファイナリストR4G賞、官職は中将)、そう遠くない将来の卒業を示唆(か?)。
1月31日、病篤く、月例の目の難病治療延期す。
2月1日、引き続き自宅療養。
2月2日、豆州どのとムサシノの国某所で会見。
2月3日、心労により、予定スケジュール、30%しか消化できず。
2月4日、前日積み残しの70%分を処理。
2月4日、先週半ばに表面化した、某ネットライブ配信の問題。配信者ご当人さまの必死の工夫により、ほぼ平穏状態を回復す。おそらくは、ファイナリストとなった時に多大なる貢献をしたTOさま、おまいつ重鎮の諸先輩さま方、および首領さまのご助言があったのであろう。
2月5日、花の御所に出仕。芸州(嶋崎安芸守)どのに1週間ぶりに対面す。
2月6日、朝からテレビにかじりつきオリンピック中継観る。スノーボードで空中回転したりとか、自分にはとてもできぬと思う
午後、競馬中継の直後の大相撲トーナメント中継、大会中止により二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)と間垣親方(元横綱・白鵬)のトークショー状態となり唖然。
2月7日、「ラッキーお野菜占い」当選し、景品届く
2月8日、病身押し、花の御所に出仕。上野左京兆どの、清原少納言どのも出仕して来るも、2月2日条で栄光ある孤立(または「光栄ある孤立」=19世紀後半のイギリス帝国の外交方針)およびモンロー主義(1823年以来のアメリカ合衆国の外交理念)の採用を決定したゆえ、挨拶もせずと云々。
2月9日、前日に出仕しただけで、体力の限界、気力もなくなり病臥す。
2月10日、週明けの大雪予報受け、あらかじめ休暇届けを提出していたため、自宅療養。ただし雪
はほとんど降らず、と。
2月11日、病身押し、花の御所に出仕。武州(高武蔵守)どのに挨拶。清原少納言どののお姿見る、と。
2月12日、心労つのり、またまた病臥に伏す。
2月12日、例の某ネットライブ配信の事、新興常連勢が古参常連勢の遠回しの忠告、警告をシカト、スルーし、配信を乗っ取ろうと謀ったため、畏れ多くも配信者さまご自身による融和へ説得の配信が行われると云々。
2月13日、前日の配信受け、空気読める人は読んだけれども、読めない者は読めず、このままでは、昨秋、配信者ご自身に何ら問題ないにもかかわらず、視聴者の上方流のいちびり(おふざけ)と配信者へのいじり(悪意なきからかい)について行けず陣営から離脱のやむなきに至った、大阪のIちゃんの二の舞となることを深く憂慮せざるを得ず、と云々。
2月15日、俄かに心神御違例の事有り、予定スケジュールの10%しか消化できず。
2月16日、花の御所に出仕。和州(大久保大和守)どの、芸州(嶋崎安芸守)どのに挨拶す。前日積み残しの90%分の雑用消化。
2月17日、心労によりダウン。
2月22日、昨年12月、前月とすっ飛ばした目の難病治療に伴う定期検査&診察へ。スマホでポイ活に伴うゲームをやりすぎたため、視力そうとう低下
2月24日、(伝聞)ロシア、ウクライナに侵攻。
2月24日、40日ぶり散髪。
2月24日、豆州(矢島伊豆守)どのと緊急会合。
2月25日、
2月27日、本家筋から連絡。曰く枠珍3回目の副反応は軽微につき「四の五の云わず、打つべし打つべし」と云々。
2月28日、花の御所に出仕。最後の1週7営業日中6営業日の出仕に息も絶え絶えと云々。
3月4日、権別当さまと特に会見。「あなたさまの肩書、権別当から権の文字が取れれば、某(それがし)例会に欠かさず出席致します」と発言。これは「YOU、別当になっちゃいなよ」と云ったのと同じ意味を持ち、また同時に現別当さまの体制に少なからぬ不満があることの暗示にもなったと云々。
3月7日、某ネット配信、R姫参加ガチイベ(チバテレ新番組に出演し歌う権利争奪)最終日最終枠、危なげなくそのまま逃げ切り、1位となる。
3月7日、ミスアキバ2020ファイナリスト・でらなんなん賞:みのフライさん(佐渡守)、一般男性と入籍。
3月8日、枠珍接種翌日に控え、権別当さまに万々が一の場合の時の連絡先(川沿いあばら屋の大家さん)を渡しておく。
3月9日、花の御所に出仕。前右中将家(東園前右近衛権中将)に9ヵ月ぶりに挨拶。昨年11月和解がなった、奥州(竹屋陸奥守兼鎮守府将軍)さまと比し冷淡な方との印象拭えずと云々。
3月9日、枠珍3回目接種。(地獄の始まり)
3月12日、酉の刻、豆州(矢島伊豆守)どのと今年3回目の緊急会合。
3月13日、例のネット配信は、えたいの知れない人がどんどん増えていったせいで、残念ながら、もはや安住の地でなくなった事を痛感す。
3月15日、枠珍接種7日目。昨夏の前2回と同様に、腕の痛みと熱っぽさは5日目くらいで引くが前日あたりからナゾの身体のダルさを発症し、病臥する。
3月16日、枠珍接種8日目。ダルさ治まらず病臥続く。本家筋に「デーエスかばーるイルミナ茶のワンワンの分科会医師会知事会のほとんどの構成員が、はした金(庶民には大金)と引き換えに早くも4回目を推進しようとしている。これではシぬまで打たされる。キリがないからやめた方が良い」と訴えるも一蹴される
3月16日、東北地震。
3月17日、枠珍接種9日目。ダルさ治まらず病臥続く。
3月17日夕、病身押しムサシノの国某所に買い出し。宵、豆州(矢島伊豆守)どのと緊急会談。豆州は云う、「武州(高武蔵守)が若州(一色若狭守)どのを領袖に祭り上げ、自派閥を再編し拡張する動きあり」と云々。勢州(松野伊勢守)、自派閥再興にもはや興味なく、甲本ヒロトイズム、モンロー主義、光栄ある孤立を基本政策としているため、「ふーん」と思うばかりナリ。
3月18日、大雨、寒の戻り。東北地震の後始末に追われ、土曜重賞(ファルコンS)の予想どころではなくなり、テーマ別投稿開始も1日延期のやむなきに至り、また諸事情により心折れ、月曜(祝日)重賞(フラワーC)の予想の意思も放棄する。
3月19日、枠珍接種11日目にしてようやく体調ほぼ回復し、花の御所に1週間ぶりに出仕。
3月20日、映画『ヒトラー最期の12日間』オンラインレンタルで鑑賞。
3月22日、寒の戻りと悪天候でまたしても病臥して、ご公務休み、予定の歯科検診も延期する。
3月24日、病臥続き、ご公務休み、予定の図書寮資料返却も延期のやむなきに至る。
3月25日、4回目については主治医たる下総中納言さまより「これ以上打ったら、あンたシぬわよ」と宣告されたため、打ち止めを決意。
3月29日、エドの国(東京都心部)観光。
ましろちゃん相変わらず可愛かったです 氷雨さんとお会いできて嬉しかったです
ここでもう1曲。
Winkで『涙をみせないで ~Boys Don't Cry~』
>4月1日にだまされたことある?
8年ほど前(2014年)に当時とあるプロジェクトでお仕えしていた内田左京兆どのが4月1日の夕刻に「メディア取材が入る」とか、つまらぬコトをグループラインのようなもので仰り、夜遅くに「エイプリルフールでしたー(笑)」と仰せられたので、あたしは「エイプリルフールは午前中だけ、貴方は大嘘つきだ
」と非常に立腹しましたね
マァ、内田左京兆どのと仕事上(?)対立したのは一度や二度でなく、伊勢守と左京兆(左京大夫)では当然左京兆の方がエライので、その都度、ほとぼりの冷めたころ、「いや~、申し訳ない
」とアタマ下げ、左京兆が何も言わずに微笑んで許してくれるというのが一種の様式美で、この騒動も同じように収拾したワケです
この何ヶ月か後に寿退職する内田左京兆の後任含みで山中センセが入ってくるのですが、あたしは内田左京兆に殉じてあんなプロジェクト辞めていれば良かったと今になってシミジミ思うのです
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お別れはこの曲。
櫻坂46待望の新曲『五月雨よ』
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