漉餡パンと東雲の鳥 第52話「黄昏のジャパンカップ」 | 伊勢守日記

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吾妻鏡的、当たり障りない美辞麗句の公式記録。

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ウワサ雀の京童に聞く。

 

今年のジャパンカップは39回目にして初めて外国馬の出走がない。

 

或る時、或る人がもうすぐ冬とも思えぬ小春日和に誘われて武州多摩のとある古刹に出かけたところ、見知らぬ老人から次のような話を延々と聞かされたと云々。

 

 

ジャパンカップは、1981年に「世界に通用する強い馬づくり」という目的で開始された。

 

第1回ジャパンカップは米国のメアジードーツが当時のコースレコードで優勝。日本馬は前月の天皇賞1~3着馬など一流馬がすべて5着以下に惨敗し、関係者は「日本馬が勝つまで30年はかかる」と唖然呆然愕然だった。

 

しかしながら、第3回で天皇賞馬キョウエイプロミスが自らの競走生命と引き換えに2着に激走し、光明を与えた。

 

そして、第4回で宝塚記念馬カツラギエースがマイペースの逃げに持ち込みそのまま逃げ切り勝ち。日本の馬が待望の初勝利をあげたにもかかわらず、あまりの意外な結末にスタンドは静まり返ってしまう有様であった。

 

それから、ジャパンカップは欧州(英・仏・伊・独)、北米(米国・カナダ)、オセアニア(オーストラリア・ニュージーランド)から集った色とりどりの強豪馬と日本のG1ホースががっぷり四つに組んで戦うレースとして定着した。

 

あぁ、あのころはよかったなぁ。

海外の強豪馬をオグリキャップ、トウカイテイオー、スペシャルウィークといった日本の一流馬が迎え撃った。あのころのジャパンカップは輝いていたのだビックリマーク

 

やがて、21世紀になるかならないかのころから、参戦する外国馬は質的にも量的にも情熱的にもジョジョに低下していき、ディープインパクトが勝った第26回(2006年)にウイジャボード(英国・牝5)が3着に入ったのを最後に馬券の対象となることはなくなり、「いったいどこから連れてきたんだ!?」と云いたくなるような馬しか来日しなくなり、外国馬は掲示板の下の方(5着)に載れば良い方で、ファンにとってはよほどの物好きを除いて、外国馬は真っ先に切る対象になってしまったわけで、今日のこの事態は競馬ファン・関係者の誰しもが予測し、また怖れていたことなのである。

 

悲しいではないか!?嗚呼ショック

 

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ここで1曲。

MEN’S 5で「とってもウマナミ」

 

 

 

おわり