こんにちは。
最近とみに思うのが自分の育て直しです。
モンスターの育成も大事ですが、子育てを通して自分が育て直されています。
息子が3歳くらいのときですかね、
主人に「このままじゃ息子はダメ男になる」と言われました。
「あなたは構いすぎだ、ほっぽっとけばよい。男子なんか放置ぐらいでちょうどよい。生徒たちをみても(中高一貫)とにかく軟弱というか貧弱な男子が多すぎる。とにかく母親が構いすぎだ。中学生なんてほっとけ、と思うけどいつまでもかわいいかわいい息子らしい。気持ち悪い(言い方がひどすぎる…)。こうなるとどうにもならない。」
そして主人からこちらの本をもらいました
開成高校柳沢幸雄先生の著書です。
そう、主人は元来あまり家にいませんが、いるときは何でもたいていは笑い飛ばして
「そうだ、やってみろやってみろ、やらなきゃなんにもできないぞ」と息子にいいます。
雲梯もアスレチックも落ちたってしにゃあしない、やってみろやってみろ!です。
日曜日は
「あぶないって言ってちゃ何もできない。」
と言って息子ひとりにコンロでポップコーンをつくってもらったりします。
ガスの使い方、鍋の振り方、塩の入れ方を説明し、大丈夫だ、ポップコーンで家は燃えないと言います(笑)
「学校でのむお茶くらい自分で用意しないとな、当たり前だろ。こぼしたらこぼさないようにするにはどうするか考えるんだ」
と言い、学校の水筒もすべて自分で準備させます。
「学校の上履きくらい自分であらいなさい、自分で履くんだから」
と上履き洗いも最近は息子がやります。
正直私がやったほうがはやいです。
私も外で働いていまして朝なんかは忙しいです。むしろ主人は朝と日曜日にいるくらいですからね。
息子がやるとむしろ仕事が増える〜と思ってしまいますが、それじゃだめだと言われます。
「生活の中で自分でできることを増やしていくことが必要だ、勉強なんかはあとからついてくる。大体ミニデーモンは多少なにがあっても勉強するタイプだ。あいつのピアノ見てみりゃわかるよね、まあ習慣とはいえ当たり前のようによく練習するよな。俺の小さいときにはありえない。努力するのが当たり前なのはおかあさん(私)に似てよかった。」
と言うわけです。
似ているところもありますが、違う人間ですので、息子はかなり自分と異なります。まず非常にはっきり意見を言います。幼い頃クラスでもおとなしかった私とは違い、非常にコミュ力が高いのです。
そして私の言うことはほとんどききません(笑)口答えの嵐です。
尚、学校の先生やピアノの先生、おじいちゃん、おばあちゃん、伯母のおっしゃることは絶対であり、必ずききます。
主人は言います、
「何いってんの、親の言うことなんかきかないだろ、それが普通だ。(小さい頃の)あなたが異常。」
異常あつかいされた…そ、そうかなぁ、腹立つなぁ(笑)
さて何故腹が立つのか。
これが自分の根幹にある問題です。
私はあまり人間らしい感情がない人間(主人曰く「人間の心がない」)ですから、怒りの感情を他人にもつことがほとんどありません。幸い戦争に巻き込まれたりしたことがないため、嫌いな人とかもいません。この世には色んな人がいる、その感覚で生きています。
この仕事を長くしていても、本気で生徒に怒ったのは多分一度だけだと思います。
しかし、息子には何故か腹が立っていたんです。
それは多分
自分が母親の言うことをきいて生きてきたから
だと気づきました。自分は母の言うことを常に聞いてきたのに何故か息子は正反対である。
母に逆らうなど許されなかった。それなのに息子は、と思うのです。幼い頃の自分が叫んでいる感じですね。
ちなみに母は大変素晴らしい母親だと思います。
トップブロガーさんに
赤井トマトさんという方がいらっしゃいますが、トマトさんが自身のお母様のことをお書きになっているときがありまして、これが痛いほどよくわかるんですよ。
「母が喜ぶかどうかを基準に人生をいきてきた」
という趣旨をおっしゃっていまして、
うわーわかるわかる、と思いました。
お母様は毒親とコメントで言われたりしていますが、普段はとてもいいお母様なんですよね。
よくわかります。信じられないかもしれませんが、こういう家もあるのです。共依存、となるんですかね。
真綿で首を絞めるといいますが、「やさしく」コントロールされていました。
私が唯一反抗したのは主人と結婚するときでした。
とにかく意味もなく大反対されました。
最初で最後の反抗期でした。
私が主人と結婚した理由は「ダメ男ではないから」でした。
そうなんです、私は面倒見たがりであり、むしろ手がかかるくらいのダメ男が好きなのです。
結婚するなら多分これじゃいけない、と正反対タイプの主人と結婚しました。
自主自律、ひたすら我が道を行く、ただ仕事はめちゃくちゃできる、人の評価なんかきにしない、人の目も全く気にしない、どうしてこんなふうに生きられるのだろう、そう思っていました。
ちなみに普段何も言わない父が(むしろ私は溺愛されており、嫁にいかないで〜とか言われていました)
「結婚させてやれ好きにさせてやれ、こいつ(私)の人生だ」
と一喝したため、母は諦めました。
簡単に言えば、母は私がいなくなるのが嫌だったのと、自分がよいと思った人と結婚させたかったのです。
そして、主人と結婚したことにより、さらに息子を産んで小学生まで育てたことにより自分のおかしさをより鮮明なかたちで認識するようになりました。
そしてもっと自由に生きて良い、と思ったのは最近です、お恥ずかしいはなしです。
主人が自分が私学中高一貫教員にもかかわらず、県立のU高校みたいな学校に息子を入れたがる(うちの息子まだ小1なのに)のは、学業云々ではなく、文武両道かつ「生きる上でのたくましさ」の上で軍配が上がるからかもしれないと思いました。
人生はDQMSLのモンスターの特技転生のように簡単に付け替えはできないですね。人生はピオリムやめてマジバリ〜とかなかなか(笑)
息子には自分の人生を歩んでもらえるよう、「過保護過干渉撲滅キャンペーン」を毎日自分のなかにおこして修行しているところです。
毎日が修行です。
お読みになってくださった方ありがとうございます!