5月22日
只今かみさん先生は、稽古中。
風炉の季節は暑い季節。クーラーで冷やし、炭の一酸化炭素中毒対策で風を通してと大変な季節だ。
俺が子供の頃は30℃を越えるのは、夏休みだけで、旧盆を過ぎると30℃は越えなかった。
温暖化も進み、今は35℃越えが夏休で、その前後1か月が35℃程度、その前後1か月が30℃~35℃と、クーラーを5.5か月使う。
その電力消費分、温暖化してここ数年は、爆発状態になったと国連も発表している。
今の温暖化対策は、CO2排出0なので、達成しても現状維持。
CO2を大気から回収しないと昔には戻らない。
CO2は、重いので低空と旅客機が出すのが溜まる10000m付近にある。
今実験を開始した、定置式CO2回収では、その場だけで減らない。
トヨタやIHIが協力して、水素で飛ぶ、空飛ぶ車や旅客機でCO2を回収固定化し、着陸後処理しないと難しい。
水素で動くターボファンEngは、出来たので徐々には進むが、まだ何年も懸るだろう。
日本ガイシでCO2フィルタも売っているので、翼上に並べ両方航行速度以上で吸って、N2とO2は、水素ターボファンEngへCO2は冷凍ドライアイス化し回収保存し、着陸後ドライアイスを炭化水素化して再利用などの方策を施す必要が在る。
そうでないと熱過ぎる。暑いでなく熱いのだ。
本来万博は技術の祭典だったが、70万博で日本が役人の簡単思考優先で、イメージの万博に摺り替えた。
本来の70年万博は、コンピュータに拠る、音声自動翻訳機で世界の人を繋ぐとして、電気屋は真剣に準備していた。
1955年には、音声の分析、認識の方法が解り。音声の文字化も1964年には出来ていた。
簡単な挨拶や会話は70万博には十分出来ていたろう。
後は文章の理解、組立等をすれば良いだけだったのに、役人達の指示で、電気屋は音声自動翻訳機を止めた。
当時の研究の音頭を取っていたのは、電電公社の研究所で親父が、行っていたので知っていた。
1966年万博はロボット元年万博だったので、技術の祭典の万博は、結果として日本が止めた事になった。
今日はここまで。