11月3日
戦前は天長節で、大戦時は作戦の完了をこの日に設定する作戦が多く、多数の戦死者が出てしまった。
かみさんは、如庵でのお茶会に行っている。
国宝の茶室では当然出来ないが、隣の新造の茶室での茶会。晴れて良かった。
如庵は、明治に建仁寺が廃仏毀釈で、崩壊し三井家が見かねて購入し、三田の今の三井クラブに在った。
昭和12年の3国同盟で、戦争になるのが確定し、重要建造物の疎開が決まり、大磯の三井の別荘に移動。
終戦で財閥解体が決まり、財閥認定に外れ残った名鉄が、財界人の心意気で買って、犬山に移転。
如庵は、茶室の細い柱の数寄屋造と小板の屋根の痛みから、分解移築は不可。
そこで、東海道を引いた。途中箱根の富士屋ホテルの先の急カーブの所の家が当たるので、国宝の為ならと家を壊した。
名鉄は、当然建て替えを申し出たが金銭は一切受け取らなかった。
侍の心意気は終戦後まで残っていたのが解る話だ。
今なら、当たるならごねて、壊して、自分で直して、上乗せしてお金を取る人が多い。
知っている人が少ないが、如庵の横の縁側でお茶が普段も頂けるが、この縁側の母屋も建仁寺の織田有楽の屋敷だ。
改造がされているので、国宝ではない。
お陰で如庵見学で何時でもお茶が頂ける、有難い。以前は遠州流の方が点ていた。
名古屋で美味しい宿に、犬山名鉄ホテルが在る。
俺が名古屋地区に3年居た時は、メーカーさん達に良く予約を取って、喜ばれた。
少し高いが旨い。
犬山は鵜飼も在り、昔両親と鵜飼船にお弁当を持って乗って、大変楽しかった事を思い出した。
今日はここまで。