11月21日
かみさんは、朝から横浜でお稽古。上手くすると、夕飯は焼売弁当。
先日朝霞の教場の我家の炉開き稽古と、かみさんは、着物を着て、準備万端。
しかし、お弟子さん達がドタキャン。
炭を洗い乾燥。炉に灰を振って入れ、五徳を合わせ。蒔き灰を造り。灰形を造。生菓子を買って冷凍、朝から出して温度を合わせ。善哉の準備であんこを造。数日前から着物を干してつるし。前日髪を洗って朝から着物に合わせ髪を上げ、形を造。着物を着る。当然道具組を先月から考え出して、磨いて、湯通して用意。茶壷に縄飾。お茶を先月新茶を買い、当日履いて、寝ずの準備万端。
そこへ、はい、ドタキャン。酷い話だ。言葉が無い。
俺も忙しい時は、携帯など見る暇がない。生活の中に携帯は無い。
しかし、今の若い人は携帯を離さないが、世の中色々な人が居るのを、忘れてはならない。
お茶は、侍の接待の作法を今に伝えるので、基本携帯は無い。
もしお茶を習いたいなら、基本をお侍さん感覚にしないと難しのが、お茶の様だ。
お侍は、仁、義を基本に考えているので、お茶を習うのは、相当勉強しないと、スムーズに習うのは難しい。
お茶会は、○月△日と決めると、戦が在っても開いたりするのは、今も同じで、お侍が「決めた事を守る。」のを当然とする考え方から来ている。
お茶の人は、これを普通と捉える人が多い。
又、例えば、季節の着物は、幕末の大奥の仕来りがベースで、温暖化の今には合わないが、基本として尊重すべきで、「暑いから浴衣で何故いけない。」となるが、迎えるのに浴衣ではと我慢する必要がある。
お茶は、勉強を基本にしている。点前の順序は、携帯でも見られる。
今日はここまで。