9月7日
漸く繋がった。パソコン音痴には、いつもと違う画面が出るとどうして良いか解らない。
かみさんは、朝から東小金井のお茶教室で、お弟子さん達に教えている。
4人に違うお点前を教えると言っていた。
良くそんな事が出来る。
かみさんは、その為に早起きして、稽古して出掛けた。
偉いものだ。頭が下がる。
今度群馬県の中之条の方に出掛ける。
今の茶道の元に成った、闘茶の形が少し残る、お茶講が残っているで有名で在る。
お茶も色々形を変えて、今に至る。
禅宗の修行のカンフル剤として、僧侶の間に広まったお茶が、鎌倉幕府三代将軍の病気を治した事で、一気に武士に知られた。
鎌倉時代は、最初の侍の政権の為、多数の乱が起こった。
その多くが、寄合時に起きている。
寄合は、本来仲間の結束を高める会合だが、侍は本来敵を打つのが仕事なので、寄合の主食の酒で酔った勢いで、乱になった場合も在った様だ。
その改善に、酒を控え、闘茶を行う様になった様だ。
それまで政権を担っていた平安貴族は、文が主で武は強くなかったので、寄合由来の乱は起き難くかった様だ。
侍は武が強く、文は弱い。
日本は、災害大国なので、相当な知識が政権は必要。
地域密着の知識は侍は持っていても、磨に始まり、毎年の台風対策、火山噴火由来の冷害の対処等、相当の知識が必要。
お茶で酒乱を止め、皆で仲良くしなければ、政権維持など出来ない。
お茶は、寄合を成立させる大切なアイテムだった様だ。
今日はここまで。