5月6日

 昨日はパソコンに遊ばれて、息子に電話を掛け漸く、普通に作動する様に指示してもらい助かった。

 もう直ぐ5月場所だが、我が朝霞の大栄翔は、元気にしているかと心配になる。

 大谷君は、凄い事になってきた。

 ホームランに合わせてビールを飲もうとしたが、我が家の経済に合わないのが解った。

 我家には大栄翔で丁度良いのだが、もう少し頑張ってやっていて欲しい。

 舞に海が言う通り、事実状の大関の役割をここ5年続けているのだから。

 かみさんは、今日も友達とのお稽古に出掛けた。偉いものだ。

 お茶の本で、南坊録と言うのがある。

 俺は勝手に、宗旦が誰かに書かせたと思っているのだが、昭和30年代に疑書と言われ、千家が大変困った時期が在った。

 当時戦前の全否定の時期で、歴史学者は、言われや言伝えは科学的根拠が無いとして、全て排除され、水戸徳川藩が編纂した大日本史を全否定に掛かった時期だった。

 大日本史は、書物の裏付けと聞き取り調査の結果の混在で在ったからだ。

 その戦前全否定に、南坊録が引っ掛かった。

 千家の口伝が全否定されてしまい、口伝の数少ない物証が、南坊録で在ったからだ。

 利休の師は宗陳で、紹鴎とは無関係に始まり、南坊と言えば高山右近だから、千家の話は嘘八百だとまで言われた。

 無限斎の弟の井口海仙さんが中心となり、千家に残っている手紙類を総ざらいして、残っている道具の謂れを、遠州公や不昧公の茶道具の書物類と合わせ、今、皆が知っているお茶の歴史をまとめて、反論して千家の窮地を救った。

 もし反論が無ければ、鵬雲斎大宗匠の先日のTVの講話も見られなかったろう。

 戦前の全否定は、GHQの初期の指示に共産党系のプロパガンダ工作に歴史の学会までもが乗ってしまった結果で、今も猛威を振るっている。

 歴史学会では、猪子餅の元になった宮中催事の三韓征伐が未だに、無かった事になっているのだから。

 美味しいお餅は在るのにだ。怖い事だ。

 今日はここまで。