11月25日

 11月は茶人の正月と言う。

 寒い冬に備え風炉から炉に切り替え、5月に積んだお茶を壺に入れて寝かし、11月に開けて飲む、口切だ。

 抹茶を造るのは大変な手間が必要だ。

 まず、茶畑で、栽培に適した場所を選ぶ。寒暖差が多い場所、霜が降り難く出来る場所。

 肥料と土と水はけ等をコントロールしてお茶を生育させ、お茶に適した場所を造る。

 そこへ、他の場所で元気に生育した強い茶の木を植え替えて、徐々に良い木を増やして行く。

 日覆いが出来る強い木が集団で、育生出来る土、養分、水捌けと条件が揃ったら、良く知られた抹茶の栽培をする。

 形上は出来るが、強い木との入れ替えで、徐々に整えて出荷となる。

 狭山でお茶が出来たのは、明治以後で150年程度の歴史だが、抹茶が販売されてまだ20年程度。

 要は、100年程度抹茶を造るには時間が懸る。

 しかし、煎茶や、普通のお茶を日覆いを掛け、新芽を積み、湯洗浄し半年壺に保管しただけの茶葉を、石臼で引いただけのお茶を平気で、抹茶として出荷するお茶もある。

 これは、玉露になるお茶なのだが、本来の抹茶とは違う。

 ましてや、煎茶の粉末、玉露の粉末等に味を付けて調合した物も抹茶として売っている。

 最後の物の出荷量が莫大で安いので、茶会で使われる例までも在る。

 飲み慣れると判るが、一般には解らない。

 かみさんは、朝から口切の茶事をやりに出かけている。

 良く曲がらない足首で、頑張って茶壷を運んで点前が出来る様になった。

 当人の超人的努力に他ならない。涙が自然に湧いて来た。

 偉いもんだ。良く頑張った。 

 朝霞で新人が増えると良いが、車で来てもOKなのだが、お弟子さんが増えない。

 お侍が、寄合で酔って戦に成らない為に、発展したお茶文化も、戦後70年余で終わり、なのかもしれない。

 日本の文化の重要な一つなので、亡くなるのは勿体ない。

 今日はここまで。