11月23日
新嘗祭のお札が奉賛会の方が持って来てくれた。
宮戸神社で新嘗祭をしたからだ。
かみさんは、お友達の茶席に招待を受けたので、出掛けた。
小金井駅前の宮地楽器ホールの地下のお茶席を借りてやっている、お稽古茶席。
母の上壽茶会をかみさんが開いた場所だ。
数えで百の母の為に、近所で母がやった事のない、当時出来建の茶席だった。
移動が無理だったので、パーマ屋を家に呼び、セット。
着物を着せて、母は動けないので、事前に席入りして、濃茶1椀を練、他3椀程度使い、一席15人を賄った。
お弟子さん達も呼んだので、薄茶は先日茶名を取った当時の新人2名とかみさんで点前。
かみさんは、席主も兼務で大忙しだった。
母は、80過ぎには、オシメの世話になっており、そこから20年間お茶をしたが、茶会のたびに、大量に溜まったオシメの処理を、身内の俺がやっていた。
良く小金井の文化連盟の人が、俺が付いてトイレへ行くのを訝しく言っていた様で、かみさんの耳に入り困った様だ。
俺が、文化連盟を抜けたのは、前の会長が出なくなった頃であった。
前の会長に、男手がいると頼まれて、居たが母も居ない所には不要で、邪魔と抜けた。
宮地楽器ホールの茶席は、8畳と4畳半に各水屋が付いたと記憶する。
小金井市文化連盟で細々要求して作った茶席。
本床だが、ビルのホールの壁が相手で、奥行きが少し斜めになっている。
かみさんは、良く上壽茶会をやってくれた。
母の一番の思い出になったろう。有難い。
今日は、その2人も行ったが、なんと手ぶらで来たと、かみさんは、びっくりしていた。恐ろしい。
一人は、海外歴が長いからとも考えられるが、生活が苦しいのか、解らん。
今日はここまで。