3月24日

 WBC皆よく頑張った。おめでとう。

 大谷を見てると、今までの野球の練習が間違っていたのが、解る。

 野球は瞬発力の競技で、持久筋を鍛える、繰り返し運動で、体に覚えさせる練習が主体だ。

 大谷君は、瞬発力を鍛える様に、体を造り、それを細かくコントロールするのは、筋肉増量作業の中で行っている様だ。

 体が大きいのがベースには在るが、良く考えついた。偉い人は居るものだ。凄い。

 かみさんは、明日、明後日で小金井公園のたてもの園内で開く、小金井さくらまつりの小金井市文化連盟主催の茶席の用意に行っている。

 西川家住宅での何時もの席だが、何時も35人程度入る所を半分にしての茶席になるらしい。

 かみさんが出る土曜日は、仕事と日本画が在るので、行けない。

 日曜日に行こうと思ったが、雨の中、混むのは困るので、行くのは中止しよう。

 初釜の様子は、四客さんへは先々代の沈壽官さんの辻が花。

 薩摩藩の御用窯。ジャポニズムを欧州で流行らした、磁器。

 秀吉の朝鮮の役で、島津が朝鮮から連れて来たのが、初代沈壽官。

 明の景徳鎮の陶工で、明を倒したヌルハチから逃れて、朝鮮半島に来ていた。

 島津と共に帰国し、薩摩中を探し、白土を発見し、今の窯を造り、以来400年以上。

 ヌルハチは、明を倒す為、明の経済基盤の景徳鎮を徹底的に潰して、明を潰し、清を建国した。

 当時、景徳鎮では今の陶芸の技術が既に出来ていた。

 当時欧州へ、祥瑞や青絵、赤絵を大量に販売し、明の経済基盤を築いていた。

 景徳鎮最後の陶芸が豆彩だったが、ヌルハチが潰した為、殆ど残って無く、幻の豆彩となった。

 欧州は、青絵までだったので、古伊万里のカラフル差に驚き、江戸後期からの薩摩焼の白地に金などの艶やかな色彩に驚き、浮世絵と合わさって、ジャポニズムの流行になった。

 上の写真の下段右が辻が花。下段左が扇面。

 その間の後の左が、五客さんへの黒楽の不二で八代の道八さん。

 その右隣が祥瑞。

 今日はここまで。