3月4日

 雛祭りも過ぎ、暖かさが増して来て、花粉の大群が来た。

 ゴウグルとマスクが離せない。

 戦後、剥げ山になり、各都市は焼け野原になり、木材が必要との事で、日本が成長の南限に近い杉が急成長するので選び、一気に日本中の山に植えた。廃仏毀釈の時と同じ勢いで。

 杉は、シベリヤ出身で、氷土の上に育つ、生命力の強い、針葉樹。

 根が地表に這う様に生え育つので、氷土の上でも森林を形成出来る。

 氷土に根が刺さる、植物はない。

 お陰で、大雨のたんびに、鉄砲水と呼ばれる表層土砂崩れがそこら中で起こって、困っている。

 本来は、明治神宮の森と同じく、針葉樹の間に、落葉樹を植えて置けば、今頃は、花粉症で悩まずに済み、山津波も収まっていたろう。馬鹿は死ななきゃ治らない。花粉症も治らない。

 先が読めない、役人と当時学者の力量が、俺の花粉症の元。やだね。

 では、明治の人達が頭が良かったのか。実は違う、唯先人達の伝承を守っただけだった様だ。

 明治神宮の森の造り方は、スタンダードなのだ。スタンダード。

 しかし、維新での日本否定が今も続いているが、熊無州の様な偉人がいて、少しだけ残ったが、植物学の本では無く、古文書としてしか残っていない。驚いた。

 しかし、戦後の植物学の微細化方向への進行で、今は植物学としては殆ど消えた。困った事だ。

 経験則は当たる確率が極めて高いのだが。

 長い年月の言伝えは本当は大切な事が詰まっているのだが。

 かみさんは、今朝、先週の終わりに持ち帰った、釣り釜一式、お雛様の茶碗、櫻、桃の茶碗、その他多数を担いで、小金井のお茶教室へ持って行った。大変な努力だ。頭が下がる。

 3月は釣り釜、2月は大炉、1月は初釜、その用意は大変だ。この季節は先生の受難の季節だ。

 初釜の様子は、薄茶で、正客へ届かなかった、扇面は下左、左最上が即全さんの暦手で鵬雲斎大宗匠箱、左上から2番目が沈壽官、3番目が初代矢口永寿の祥瑞で九谷の方、右上が志野で谷川勝明さん陶芸の審査委員、光悦の卯の花垣ににている、その下の黒楽は八代目の道八さん、右下が林探幽さんの宝俵、全7椀。

 皆楽しく飲んだ。80歳のお点前さんは良く頑張った。

 最後にお点前さんに俺が席に入って、宝俵で点てた。

 釜が煮え滾っていたので、この後の懐石の為、水を足した。

 今日はここまで。