6月25日
サッカー見て、眠い所で、真夏の暑さ。
33度位で、今は真夏などと言ってはいけないのかもしれない。
35度越えの猛暑日が、真夏か。
おれの子供頃は、30度を越えると、凄くきつかったのを覚えている、
体温は、変わらないから、子供達はどんなに、キツイか。頭が下がる。
七夕茶会茶会は、西郷どんにちなんだ、白薩摩。
辻が花の柄の、竹のお陰で、使える。
本来辻が花は、染物の用語。
何度も繰り返して染めるので、大変貴重な染物だった。
着物も季節が在り、桜の模様を夏には着ない。
そこで、春夏秋冬の花を模様とし、貴重な着物を何時でも着る事が出来る様にした。
辻は、交差点、分岐点を表すので、各季節の花が集う模様を「辻が花」と呼んだ様だ。
お茶の器に、雪月花模様が在るのと、起源は同じ様だ。
家康が、大阪の攻めの前に、国友の鉄砲鍛の棟梁衆に、辻が花の陣羽織を送って、大筒を作らせて、冬の陣に勝利した。
当初、用意した、輸入の大砲は重く、外堀際まで運び込むめず、射程内に天守を捉えられなかった。
輸入の大砲の射程は300m程度で、外堀の外の山からは、1km程度あった。
天守の高さは、50mと高い、そこの壁を打ち抜くのは、上野に打ち込んだ大砲が必要で、250年待つ必要があった。
冬の陣では、眞田出城、以外にも出城が2個在り、其々頑張っていた為、外堀に近付けない状況が続いていたのだ。
そこで、景勝の上杉勢が、豊臣方の陣を破り、外堀際まで進んで、徳川本体が3人係りで持ち運び出来る、大筒で天守を狙い、打った。
慶長の役に作った長筒では、城の漆喰は打ち抜けない。
その為の、ハンディー大筒を国友に作らせて置いたのだ。
家康の準備の良さ、上杉の強さが無ければ、歴史は変わっていた。
東側の出城は、2個、その間に遊撃隊2体で、豊臣側は頑張ったので、なかなか破れずにいた。
福島正則の広島の改易で、ビビッていた、外様勢。
領土安堵の戦いなので、あまり手抜きは無かったと考える。
辻が花の白薩摩が、お待ちしております。
小金井市東センター祭りのお茶席へ是非お越し下さい。
今日はここまで。
